風が吹いて「チラ見え」でも即逮捕 明治時代の異常な「公然ワイセツ」取り締まり

※イメージ画像 photo by igeegle from flickr

 明治維新後、新政府は日本を近代化させるために猛烈なエネルギーを注いでさまざまな策を講じた。そのなかには、暴走というか珍妙というか、あまりに強引なものも少なくなかった。たとえば、男女入り乱れてのイベントは風紀を乱すという理由から、全国各地で村祭りや盆踊りなどの地域の慣習すら禁止する通達が出されたというから、新政府の迷走ぶりがうかがえる。

 そうした新政府が実行した策のひとつに、裸の禁止がある。幕末、日本を訪れたペリー提督らは、日本について、一夫一婦制が浸透していることや、女性が尊敬されていることなどについて評価したものの、人前で公然と裸体をさらすシーンが多いことを指摘し、道徳観念にかける未開な人種といった意見を呈していたらしい。

 これに過敏に反応した新政府は、「近代化のためには、人前でも裸を禁止せよ」という施策を進めていくことになる。

 さて、いかに明治期の日本の庶民が日常生活においてオープンであったとはいえ、全裸で外を歩く者などいなかったことは言うまでもない。だが、夏場ともなれば薄着になるし、男性なら屋外でも肩や胸を露出することも多かったであろう。実際、職人や人力車の車夫などが夏場に上半身をあらわにして仕事をしていて、警官に咎められるといったケースは多かったと複数の資料が伝えている。

 なかには、家のなかで裸になっていただけで連行されたケースもあった。明治6年8月発行の『新聞雑誌』124号に掲載の記事は、その一例を紹介している。東京・浅草のある民家で、早朝にその家の主婦が裸になって身体についた蚤を取っていた。おそらく、裸といっても全裸ではなく、せいぜい上半身をはだけて腕や肩などにたかっていた蚤をはらっていたのではないかと思われる。そして、8月の暑いさなかである。当時はエアコンどころか、クーラーも、扇風機からもない時代だ。ご婦人は縁側に出るか、あるいは窓を開け放って蚤取りをしていたことだろう。

 ところが、これを通りがかりか何かに見かけた警官は、「裸をさらすとは不届きな女だ」とばかりに、家のなかに上がりこむと、まだ上半身をさらしたままのご婦人を、着物も羽織らせずにそのまま警察署に連行したという。何とも乱暴な警官で、そもそも、「裸はダメ」というのであれば、この警官こそ強要の容疑で逮捕されてしかるべきであろう。

 さて、署内でご婦人をたしなめた警官は、衣服を渡して「もう帰ってよい」と言い放った。だが、ご婦人も負けていなかった。

「肌をさらして警察まで連れて来られたため、往来ではさんざんさらしものになりました。夫にまで嫌われてしまって、もう生きていく価値もありません。もはや。ここで飢え死にするつもりです」と、署内に居座り続けたとのことである。

 その後の顛末はわからないが、記事では「裸体の儘街道を連れ行きしは如何成訳にやと、衆人大いに疑惑を起こせり」という世間の反響を伝えている。いうまでもなく、これでは世間一般が「警察はおかしいぞ」と感じるのは当然だ。

 同じようなケースはほかにもあって、それこそ、風で着物がまくれて「チラリ」と見えただけでも警官が飛んでくるような事態は、明治末期になってもあったらしい。明治43年7月9日の『東京朝日新聞』掲載の「珍妙な風俗壊乱罪」という記事では、井戸端で洗濯をしていた43歳の女性の着物が短かったため、その間から「見えた」ことで警官が拘引。女性に罰金を科したところ、女性が激怒し警官を訴えた。裁判所では、警官が「確かに見た」と証言したのに対し、女性が顔を真っ赤にして「いいえ、出しません」と火花を散らしたという。

 それにしても、「裸はいけない」「肌を露出するのは野蛮」と決めつけ、これを機械的に取り締まるあまりに、女性を裸のままで連行するとなどという、近代化について最も重要な「人権の尊重」がまったく忘れられて知っていたわけであるから、まさに形だけの施策であったことは間違いなかろう。
(文=橋本玉泉)

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