齢40の売れっ子写真家が、「都内で小さめの家が買えるくらい」の貯金をはたいてまでして撮りたかった“モノ”とはなんだったのか──。
物語は、さして美人でもない女たちのポートレイトから始まる。次に、男が現れる。彼は素っ裸で、暗闇を走っている。次第にその人数が増える。女たちも現れ、群れとなる。そしてある時、彼らはまぐわい始める。獣のように交尾しあう裸身の群れ。そこかしこで汗と精液が飛び散る。肉、汗、汁。それはまるで、巨大な肉の塊のようにも見える。荒々しくも、静謐──。
これは、乱交モノAVを追ったドキュメンタリーなどではない。
20歳でキヤノン写真新世紀公募展にて最優秀賞を受賞、継父の自殺未遂を撮影して話題を呼んだ『目のまえのつづき』、10人の出産の瞬間をとらえた『いま』といった異彩を放つ写真集を発表してきた写真家、大橋仁の新作写真集『そこにすわろうとおもう』。それは、150人ずつ、計300人の男女が絡み合う姿を撮影した、常識外れの作品なのだ。
「アイディアを思いついたのは、5~6年前。たいまつを持った人間たちがザーッと並んでいて、その先頭に立っているガリガリに痩せた男が僕の顔を覗き込んでいるという光景が思い浮かんだんです。男の後ろには人の列があって、奥の小屋に入るとぎゅうぎゅう詰めになった人たちがセックスしてる。そのイメージが頭から出ていかなくなっちゃった」
他人に口出しされたくないという思いから、スポンサーをつけることは考えなかった。全制作費を自分で出す。当然、莫大な金額になる。
「これを撮らないと次に行けない。形にしない限り、こっちが精神的に参っちゃう。持っていたお金を全部使えば撮れるとわかったら、やらないわけにはいかなかった」
その制作費は「都内で小さめの家が買えるくらい」だという。
300人の男女を集める手配などは、古くから大橋と親交のあるAV監督のカンパニー松尾が担当。
「自分の金でそんなバカなことやる、なんて話聞いたら、手伝わないわけにいかないじゃん」
松尾はそう言って笑う。モデルプロダクションに依頼すれば、AV女優をかき集めることは比較的容易である。問題は男性だった。AV男優は基本的にフリーなので、一人一人に声をかけるしかない。
「最初は男なら誰でもいいかなと思ってたんですけど、『最後までセックスし続けられる男優がある程度いないと駄目だろう』と松尾さんにアドバイスされまして。だから、有名な男優さんにもかなり参加してもらいました。見る人が見ればわかると思います(笑)」
300人の男女がセックスをしている光景を見てみたい。それだけなら、CG合成でもよかったのではないだろうか?
「それはない。セックスに関しても、擬似ならもっと安くできると言われましたけど、そこも本当じゃないと駄目なんです。ひとつ嘘をやると、全部嘘になる。嘘は絶対に写っちゃう。本当じゃないと意味がない」
かくして、常識外れのプロジェクトは決行された。
「ずっと見たかったものが、現実として目の前に出現したわけです。こんなに満足できたことはなかったですね。非日常的な光景なんだけど、ファンタジーではなく現実。300人がセックスすることで何かが生まれるというより、300の細胞が自分の体の中を這い回っているのを見ているようでした」
それにしても大規模な撮影だ。写真作品としては前代未聞だろう。
「現場は大変でしたね。(有名AV男優の)花岡じったさんなんか、我慢できなくて勝手に始めちゃうし(笑)。でも彼は最後までずっとやってたから、やっぱりさすがだなと」
同時にこの写真集は、21世紀の日本人の記録でもあるという。
「1000年後とかの人がこれを見たら、当時の人はこんな体つきでこんなセックスしてたのかって資料になるかもしれない。古代人の壁画みたいにね(笑)」
(構成=安田理央/写真=大橋仁)
大橋 仁(おおはし・じん)
1972年、神奈川県生まれ。荒木経惟に影響を受けてカメラを手にして、わずか1年後の92年にキヤノン写真新世紀公募展にて最優秀賞を受賞し、写真家デビュー。ミスター・チルドレンやビョークなどの撮影や斉藤和義、福山雅治のPVのディレクションも手がけている。個人作品集としては『目のまえのつづき』(99年)、『いま』(05年) に続いて、3冊目となる。