「ヨイトマケの唄」も放送禁止だった 自主規制が名曲を殺す音楽業界

※イメージ画像:『封印歌謡大全』
著:石橋春海/三才ブックス

 昨年末のNHK紅白歌合戦で美輪明宏が披露した名曲『ヨイトマケの唄』が、ネット上で話題になっている。1964年に生まれた同曲は、戦後の激動の時代を貧しく苦しくとも互いにかばい合って生き抜いた母子の絆を描いた歌。黒のシンプルなスーツの“男装”で現われた美輪が、身ぶり手ぶりを交えて歌いきると会場は水をうったように静まり、その圧巻のステージに多くの人々が感動した。

 ネット上でも反響は大きく、Twitterでは絶賛の嵐が巻き起こり、普段は罵詈雑言であふれている「2ちゃんねる」も紅白のスレッドが美輪を褒めたたえるコメントで埋め尽くされた。リアルタイムで聴いていた世代はもちろん、曲の存在すら知らなかった若い世代の心も動かしたようだ。1月1日午前のGoogle急上昇ワードランキングで「ヨイトマケ」が1位になっており、goo音楽歌詞デイリーアクセスランキングでも同曲がトップに立っている。

 同曲は紛れもない名曲であるが、「放送禁止歌」の代表的楽曲という側面も持っている。題名や歌詞に「ヨイトマケ」」「土方」といった差別用語とみなされる言葉が含まれており、かつては日本民間放送連盟によって「要注意歌謡曲(通称・放送禁止歌)」に指定されていた。要注意歌謡曲は差別用語のみならず、わいせつ性や政治的配慮、暴力表現、果ては「過激すぎる」という曖昧な理由でも指定され、ピンク・レディーの代表曲『S・O・S』も冒頭に救助要請のモールス信号がサンプリングされているという理由で一時放送禁止扱いになっていた。

 この制度は1983年に廃止されたが、その後も現場の事無かれ主義が招いた「自主規制」という実態のない呪縛により、民放では『ヨイトマケの唄』が封印されてきたという事実がある。だが、2000年に桑田佳祐がテレビ番組でカバーを披露し、若い世代を中心に「桑田が歌ったあの歌は何だ?」と大きな話題になると解禁ムードに。同年にNHKで美輪本人がフルコーラスを歌唱し、民放各局でも流されるようになった。

 近年、こういった「放送禁止歌」にスポットが当たり、今まで接する機会がなかった世代から大きな反響が巻き起こるというケースは増えている。

 放送禁止歌の代名詞といえるフォークの神様・岡林信康の『手紙』(1970年発売)は、部落差別によって恋人と引き裂かれた女性の心情を歌った名曲だったが、タブーを扱っているとして放送禁止となった。以来、メディアで流れることはなかったが、ドキュメンタリー作家・森達也氏が自身の番組「放送禁止歌」でフルコーラスを流し、その美しいメロディーと心に響く歌詞に初めて触れた若い世代に強烈すぎるインパクトを与えた。

 フォークシンガー・高田渡(故人)の『自衛隊に入ろう』(1969年発売)は、自衛隊を痛烈に皮肉った歌詞で当時人気となったが、反体制運動を助長するとして放送禁止扱いに。だが、2001年にガガガSPがセカンドシングルのカップリングとしてカバーし、再び脚光を浴びることになった。最近も反戦歌として多くのアーティストに歌い継がれている同曲だが、高田本人は「今の時代に、この曲を歌うのは違う」とカバーに否定的だったとされている。高田にしてみれば、昔の歌の焼き直しではなく、時代に合った新たな反戦歌が生まれてくれることを願っていたのだろう。

 1968年に生まれたザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』は、朝鮮半島の南北分断をテーマにした名曲として初演から話題となったが、「歌詞の内容が南(韓国)寄りすぎる」として朝鮮総連などから抗議された。同年にシングル盤として発売される予定だったが、政治的配慮によって発売自粛が決定し、メディアでも流されることはほとんどなかった。だが近年、放送禁止歌にスポットが当たったことで同曲にも注目が集まり、2002年に34年の歳月を経て初めてシングルCDとして発売され、オリコンチャート最高14位を記録した。さらに、05年の映画『パッチギ!』で劇中曲に使用され、その存在は若者にも知られるようになった。

 80年代には、忌野清志郎(故人)らが所属したRCサクセションの替え歌アルバム『COVERS』(1988年発売)が物議をかもした。反核・反原発ソングとして作られた『ラブ・ミー・テンダー』の「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」といった歌詞や、『サマータイム・ブルース』の「原子力発電所がまだ増える 知らねえ内に漏れていた」などという歌詞がレコード会社に問題視され発売中止が決定。レコード会社を変えてリリースするという強硬手段で話題になった。これらの曲も長らくメディアではほとんど流れなかったが、一昨年の福島第一原発事故によって注目度が急上昇。ラジオのリクエストが急増し、通販サイト「Amazon」のランキングで上位に入るなど、20年以上前のアルバムとしては異例の売上を記録した。

 これまで挙げた曲以外にも数多くの放送禁止歌が存在したが、「要注意歌謡曲」の指定は扱いに注意すべきという目安でしかなく、強制力はなかった。だが、現場の「これに従っておけば責任は免れる」という安易な自主規制によって、多くの名曲たちが日陰扱いされたというのが実情だ。現在は「要注意歌謡曲」の制度も廃止され、世の中に放送禁止歌は存在しないことになっている。しかし、現場の自主規制は強まるばかりで、これに合わせて作り手側も過激な表現を避ける傾向になっていることは否めない。

 「最近は骨のある歌が減った」と嘆いている音楽愛好者は多いが、音楽業界や放送業界がクレームや圧力を恐れるあまり、事無かれ主義に陥っている現状が一因になっているのは確かだろう。
(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops

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