芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします。
エロいグラビアアイドルとして大ブレーク中の壇蜜。彼女が元銀座ホステスだったことは、筆者は親しいクラブ関係者の情報で知っていたが、そのことを10月末にいち早く報じたのは「週刊新潮」(新潮社)だった。同誌によれば、「銀座の高級クラブを長年切り盛りしてきたママにして“逸材”と言わせしめたのは、まだ、20代半ばだった壇蜜」として、同ママいわく「これまで雇ったどの女の子と比べても存在感が抜きん出てました。私なんかより、よっぽど水商売に向いていると思ったほど」という。さらに「ママによれば、当時の彼女は今と変わらず、涼しい目元に黒髪ロングの和風美女」と報じている。
だがこれは、壇蜜好きの新潮によるヨイショ記事と見るべきだろう。筆者と親しいクラブ関係者や銀座のベテランスカウトマンによると、「水商売には不向きな影の薄い存在だった」という。
壇蜜は公称32歳。初めて銀座のホステスを務めたのは、今から約10年くらい前だというから20代初めの頃だ。壇が務めたクラブは、銀座6丁目にある老舗高級クラブ「P」。このクラブは親会社が六本木を拠点とするクラブチェーンということもあって、Pにも六本木のクラブのシステムを導入。そのため、銀座では“番外地クラブ”と呼ばれていた。ホステスの年齢層が銀座のほかのクラブに比べると低く、若いホステスを目当てに芸能人やスポーツ選手が出入りしていたことで有名だった。
バブル時代は、ド素人同然のヘルプの1日の保証が10万円といわれることもあった。そんなPで壇は「しずか」という源氏名で2年ほどヘルプとして働いていたという。Pの元従業員は「影が薄い子で、お客もついてませんでしたね。今の壇を見て、顔もまるで別人のように変わったと思いましたよ」と話してくれた。
おそらく、壇が変貌を遂げたのは20代半ば。新潮で銀座のママが証言したように、Pからママの店に移ってから、彼女は花開いたのかもしれない。新潮では「彼女はとにかくメガネフェチなんです。メガネをかけたお客様の席に着くと、体を寄せて指先でメガネを“ちょんちょん”と突く。その無邪気な仕草で皆さん、メロメロになっちゃうわけです」とも報じている。さらにPを辞め、28歳で芸能界デビューするまでに、かなりの男性経験を積んだことは想像に難くない。
それにしても、30歳をすぎて福山雅治まで虜にするエロさを発揮するまでに成長するとは、女の変わり様は恐ろしい。
(文=本多圭)