芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします。
11月23、24日にフジテレビで2夜連続ドラマ『積木くずし~最終章』が放送された。原作の『積木くずし 親と子の二百日戦争』(桐原書店刊)は、俳優の穂積隆信が非行に走った実娘の故・穂積由香里さんとの葛藤を描いた実話作品で、300万部を超す大ベストセラーになった。さらに、83年にTBSが原作をドラマ化。最高視聴率45.3%と驚異的な数字を記録したが、筆者はこのドラマの裏で起こった“ニャンニャン事件”を忘れない。いや、忘れてはならないのだ。なぜなら、筆者も含めて、夕刊紙、スポーツ紙、週刊誌、それに芸能リポーターたちは、取材という名目で一人の少年を利用して、結果的に自殺に追い込んだからだ。
ドラマ『積木くずし』で、主人公である不良少女役を演じたのは、当時絶大な人気を誇った『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)で誕生したユニット「わらべ」の高部知子。当時、15歳だった。そんな一躍脚光を浴びた高部が、裸体を布団に包み、ベッドでタバコを吸っている写真が、83年6月、写真誌「FOCUS」(新潮社)に掲載された。写真がセックスを連想させるために、“ニャンニャン写真”と編集部がタイトルをつけたようだ。
その写真を持ち込んだのは、『積木くずし』にエキストラとして出演していた18歳の少年Iだった。筆者はこのIを、当時親しくしていた病院の院長に紹介された。Iを元暴走族と報じた無責任なマスコミもあったが、Iは一部上場会社幹部の御曹司であることを隠す謙虚な少年で、素直で正直だった。ドラマで知り合った高部に本気惚れたが、高部ではそうではなかったようだ。まだ15歳の高部に弄ばれたことにショックを受けたIは当初、写真をテレビ局のワイドショーに持ち込んだ。しかし、高部が所属していた「ボンド企画」というプロダクションは当時、岡田奈々、大場久美子、松本伊代らといったアイドルを抱え、業界ではかなりの影響力を持っていた。そのため、持ち込んだワイドショーで芸能リポーターをやっていたKが、写真の件を事前にボンド企画に報告。事務所の圧力で写真は一時、闇に葬り去られた。そこで筆者に相談が持ちかけられわけだ。筆者は「『FOCUS』なら、事務所側の圧力に屈することはない」とIにアドバイス。結果、あの写真が掲載されたという経緯があった。Iがどのような目的で写真を公にしたかったのかの真意は第三者にはわからないが、社会的影響力が絶大だった高部の喫煙や性交渉の疑惑を示す写真は、「FOCUS」を始め、各メディアも追及するに値すると判断した。筆者もそうだった。
この“ニャンニャン事件”はIが想像した以上に拡大した。各マスコミは次々にIに接触、高部からの手紙や高部との会話のテープを掲載するなど、Iをとことん利用した。その一方でIは高部の熱狂的なファンの暴走族や、高部の事務所と近い暴力団関係者から狙われているのではないかと怯えていた。
そこで、筆者は病院の院長と相談。院長の奥さんの実家がある福島のとある場所に身を隠すことを勧め、実際にIは福島に行った。しかし83年9月、Iが茨城県の林道で自動車の排気ガスで自殺したという情報は入った。そんな馬鹿なと思いながら、現場に駆けつけた。Iが自殺したとは信じらない筆者は「Iは何者かによって殺されたのではないか」と取材を始めた。するとIの父親から「会いたい」という連絡が入った。父親の要件は「Iは自殺だ。これ以上、取材を続けるのはやめてくれ」と懇願するものだったが、筆者は納得できずに取材を続けた。しばらくすると、再び父親から「会いたい」と連絡があって、白金のホテルで会った。「Iは自殺で間違いない。実は表に出していないが遺書があるんです。この遺書を本多さんに見せます。そのあと、ここで焼却します」といって遺書を見せてくれた。内容に愕然とした。それによれば、福島に隠れていたIを芸能リポーターやマスコミ関係者が見つけ出し、都内に呼び出して、引き続き、情報を収集していたのだ。遺書には「芸能リポーターやマスコミに利用されて裏切られた」といったような内容が書かれてあった。そこからは、Iが望まない形で、騒動が拡大していったことに対する苦悩が伝わってきた。「利用された」――筆者、この言葉が自分にも向けられているのではないかと感じられてならなかった。
将来あるひとりの少年をスクープが欲しいがために散々利用し、自殺に追い込んだのは筆者を含め、マスコミだ。それだけに、同じような過ちを犯さないためにも“ニャンニャン事件”を決して忘れてはならない。
(文=本多圭)