フィリピーナ相手には、お決まりと言っていい69も途中に入る。
余談だが、69や尺八を嫌がるフィリピーナは、本気度が薄いと言ってもいい。セックスを楽しみ楽しませるよりも、他に“目当て”があると思って間違いはない。
再度、くんずほぐれつ。
身体を密着させたまま、横になったり上になったり、体のあらゆるところを確かめるように舐めて、また69に戻る。
彼女は、ふくよかなおっぱいに黒なまこを挟み、亀頭の淵を舐め廻して口に含む。そして、おまんこをオレの眼前に突き出す。
開け広がったおまんこは、バランスの取れた色と形をしている。それが、舐めてくれと言わんばかりに、入り口を開け閉めしながら、涎を垂らしている。
美味しい! この何もかも忘れた、興奮が美味しい!!
それから、黒なまこがおまんこに突入して果てるまで、その興奮状態が続くのだ。他の事を、考える隙を与えてくれない。
終わった後も、密着状態で興奮を鎮めていく。
興奮状態と密着快感から開放された後の疲れと爽快感は、何とも言えない。黒なまこの、快感後のだらけた姿のように、オレの頭から爪先までが、海綿体状態になってしまうみたいだ。
その余韻を楽しんだ後、酒臭い息を残しながら、彼女はシラフで打ち明け話をする。
騙すのはいけないことだが、騙さずにはいられない自分の環境や行動に嫌気が差すらしい。もっともなことではある。それを、オレとのセックスで解消し、前向きな力に変えているという。そして、それは、愛を感じていなければできないと。
つまり、オレに愛を感じていたのだ。オレは、お金を要求されたことはないので、それも真実なのだろう。
だが彼女は、母親の死と同時に田舎へ帰ってしまった。日本人の戸籍謄本と一緒に。
中年過ぎ日本人には定期的に送金させていたようだが、騙されたと分かったのか、それともあきらめたのか、連絡が途絶えたという。
その後、彼女は酒も止めたらしい。酒で嫌なことを忘れることはできないし、そんなときは、オレとのくんずほぐれつの密着セックスを思い出しているらしい。
家族が生きる為に人を騙し愛を諦め、家族が生きる為に必要な自分を生かさなければならない。
そこに、己が存在する価値を見い出す。それは、決して自己犠牲ではないのだ。
だからこそ、出会った人を見極める眼には、鋭い磨きがかかっている。
騙されてもいい奴、騙されてくれる人、心を打ち明けられる人。
そして、生きることを楽しむ。
そんな彼女たちとセックスを楽しむオレは、極悪人かもしれない。
いや、相手もその時を楽しみ、生きる喜びと力を得ているのなら…悪いことではないのかも。
フィリピンにおいでの際は、案内してあげよう。
汚く貧しくても、生きることを楽しんでいる人たちの所へ。
そして、美味しい所へ。
(文=ことぶき太郎)