26日に配信された産経新聞のネット版に「落語家がテレビから逃げ出した」という記事が載っている。ベテラン落語家の言葉として紹介されているこの発言は、人気落語家・桂三枝の六代目桂文枝襲名に寄せられたもの。そしてその意味は、かつてテレビの人気者だった落語家たちが、その座を若手の漫才師たちに脅かされると、そそくさとテレビから逃げ出したということらしい。1980年代に登場した若手漫才師らの圧倒的な勢いの前に、当時テレビで活躍していた落語家たちは戦わずして、寄席に逃げたというわけだ。そんな苦い過去を、このベテラン落語家は自戒の念を込めて「逃げ出した」という言葉に置き換えた。
確かにこのベテラン落語家が指摘するように、1980年代、テレビバラエティは、あっという間に姿を変えている。現代バラエティの元祖と言われる『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の放送開始や、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンといった第三世代の台頭。これまでに誰も見たこともなかった新しいバラエティ番組が次々と登場し、人気を博した。瞬く間に新しい姿に生まれ変わったバラエティに、それまでテレビの第一線で活躍してきた落語家たちの姿は一掃されてしまう。まるでそれは「逃げ出した」かのようでもある。
そしてその落語家がテレビから逃げ出してから30年あまりが経過した今のテレビバラエティから、今度は芸人たちが逃げ出そうとしている。
先日放送された『24時間テレビ35 愛は地球を救う』(日本テレビ系)の中で、平成ノブシコブシの吉村崇に「九州行き」を暴露され、ネットなどを中心に話題に上がっている我が家の杉山裕之。放送後に更新された公式ブログでは、「僕にとって我が家にとってもスゴく良い話」で、「プラスになる」とコメントを寄せたものの、単身福岡に移り住みソロ活動を開始するということは、中央で戦う場所を失ったのと同義だ。そして、もしそれが「将来を見据えて」や「生活のため」といった、芸人らしからぬ消極的な理由からくるものであるならば、前述した落語家たち同様、「逃げ出した」と捉えられてもおかしくない。
とはいえ、新しい時代を担う若手に突き上げられてテレビから姿を消した落語家たちとは違って、今回の杉山の九州行きには、「突き破れぬ高い壁」が目の前にそびえていることがある。つまり、大御所たちはもちろん、あまりにも人材豊富な中堅芸人という存在だ。我が家クラスの若手から見れば、その壁は途方もなく高いに違いない。杉山は、「逃げ出した」というより、その高い壁に立ち向かうことを「諦めた」と言ったほうがいいかもしれない。
六代目桂文枝は、その襲名披露の挨拶で、「時代をつくるのは、これからも若い人たち」と語っている。しかし果たして、今のバラエティ界で、下克上を成し遂げようとする気概のある若手がどれほどいるだろうか。まして、ネットという新しいメディアの台頭は、そこに新しいステージを次々と生んでいる。わざわざ力のある先輩たちと戦わなければならないテレビは無理だから、まだ誰もいないネットでがんばろう、という若手は多い。東京で活動しながら、やがて地方に行く芸人というのも、ほとんどが同じ理由といえる。
だが、どんな業界も若手の育成が将来を左右する。ネットや地方への若手流出が加速すれば、やがてバラエティ界から人材が枯渇してしまう日がやってこないとも限らない。それだけ、競争が激しいともいえるが、各時代の芸人がそれぞれ活躍することでテレビバラエティは活性化するし面白い。天下を獲ってやろうという気概の見えない今の若手が、杉山のように次々と諦めていけば、やがて、数年後には使える中堅芸人がいないという空洞化現象が起きてしまうかもしれない。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
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