「タモリさんといる時のさんまさんは面白い!」大御所ふたりに見る“面白さ”の秘密

※イメージ画像:『明石家さんま ベスト・コレクション』PONYCANYON INC.、右『タモリ』Sony Music Direct

 21日から22日にかけて放送された『FNS27時間テレビ笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』(フジテレビ系)に、総合司会を務めたタモリのイラストを描いた漫画家の久保ミツロウが出演。その際、「関西弁が嫌い」と言って、露骨に明石家さんま嫌いをアピールしたとして話題を集めている。

 もともとラジオ番組などでタモリ好きを公言していた久保。その引き合いに出されたのが、タモリの盟友とも言えるさんまだった。しかし、タモリとさんまの掛け合いを目の前にした久保は、さんまが嫌いなのではなく、さんまの周りにいる取り巻きが嫌いだということに気づいた様子で、最終的には「さんまさんが嫌いどうこうより、タモリさんが好き」とまとめていた。

 何よりも笑いを優先し、私生活から人生の全てをかけて芸人として歩んできた明石家さんまが、不世出の芸人であることに疑いはない。しかし、その本人の歩みが変わらずとも、周囲の人間たちというのは往々にして変わっていくもの。取り巻きのスタッフは、30年以上テレビバラエティの第一線で活躍してきた彼を大御所と敬うようになり、共演者となった後輩芸人たちは「お笑いモンスター」と彼を畏怖するようになった。さんまとすれば、ただ純粋な一芸人であることにこだわり続けた結果に違いない。しかし、そうしたさんまの状況に、久保は違和感を感じ、誰も何も言わないような空気に苦手意識を持ったわけだ。

 しかし純粋芸人のさんまは、周囲のそうした空気すら笑いに変える。堂々と自分のことをBIG3と言い、後輩から「お笑い怪獣」と呼ばれれば、「どや? さすがやろ?」と切り返す。何よりも笑いを優先するさんまにしてみれば、周囲の態度など関係ない。どんな扱いをされようが、さんまは全てを笑いに変えることに全力を尽くす。

 その点に関して、久保は「タモリさんといるときのさんまさんは面白い」と表現。今の芸能界では少なくなった、さんまに物を言える存在であるタモリを肯定しつつ、そうした存在があればさんまは面白いと指摘した。

 確かに久保の言いたいことは理解できる。裏方であるスタッフたちが明石家さんまを大御所として奉るのはまだしも、まるでこびへつらうようにさんまに取り付く若手芸人たちの態度といったら鼻につく以外ないからだ。そして、どんなに周囲から大御所と敬われても、自分本人は知らぬ存ぜぬという態度で飄々としているタモリには、得体の知れない魅力がある。

 27時間テレビが終わって、大役を果たしたタモリは、「僕らが団結、団結と言い過ぎて、国民とは離れたかもしれませんが。テレビを観てくれた方にも、観ていない方にも感謝を申し上げます。団結しました」と感想を述べた。普通のタレントなら、ここまで率直なコメントを残すことはできないだろう。「国民とは離れたかもしれない」なんて、とてもじゃないが言えない。しかしタモリはそれができてしまう。

 もともとタモリとはそうした“異色”のタレントだった。それが今やお昼の顔になり、BIG3と呼ばれるほどの大御所になってしまった。それは彼にとって、思いがけないことだっただろう。そしてそれはさんまも同じに違いない。自分の個性のままに生きた結果が、そうなってしまったということだ。ただ、さんまにしてみれば笑いに変えられる“大御所”というネタも、アバンギャルドでアナーキーでアングラで、という代名詞を持ったタモリにしてみれば、どこか窮屈なものになりかねない。昔のタモリを知る人々や深夜のタモリを愛する人々には、その意味が十分伝わることと思う。

 毎年のように騒がれる『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の打ち切り話。今年は特にこの27時間テレビが「タモリの花道に違いない」という声が大きい。ことあるごとに60歳での引退を宣言しているさんまと違って、27時間テレビ内からの発言からも、タモリ本人の芸能界引退というのは考えられない。もし『いいとも』が終了すれば、それは“お昼の顔”からの脱却、そして新生タモリの誕生を意味する。新しいタモリが、どんな顔を見せてくれるのか楽しみだ。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

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