姉の死後に美容整形・子宮外妊娠を暴露した実弟に非難の嵐

※イメージ画像:『大原麗子 炎のように』/青志社

 ここ数年、誰にも看取られず、死後数日経って遺体が発見されるケースを、メディアが「孤独死」と騒ぎ煽っている。一人きりで死ぬなんてかわいそうに、と同情する声もあれば、誰でも死ぬときは一人だ、という意見もある。2009年8月、自宅にて不整脈による脳内出血で死亡しているのを実弟らに発見された女優・大原麗子(享年62才)も孤独死した一人だが、彼女は生前、一人暮らしの孤独を周囲に明かしていたということもあり、いっそう同情の声が大きかった。

 彼女はいわゆる昭和のスター女優で、高倉健の『網走番外地』シリーズ、梅宮辰夫の『夜の青春』シリーズ、『男はつらいよ』シリーズなど数々の映画に出演してきた。私生活では1973年に渡瀬恒彦と結婚したが、5年間の夫婦生活を経て破局。その2年後には森進一と再婚したものの、84年に再び離婚に至っている。渡瀬と結婚していた時期には特定疾患に認定された指定難病である神経疾患のギラン・バレー症候群を患い、93年にも乳がん手術を受けるなど病気に悩まされた人生でもあった。

 そんな大原麗子の実弟である大原政光氏が、4月10日放送のテレビ番組『ニッポン大女優伝説』(TBS系)に出演し、故人について赤裸々な暴露をしている。それは非常にプライベートな事実で、今さら明かす必要があるのだろうかと疑問に思う内容のものだった。

 政光氏が明かしたのは、故人が53歳にして美容整形をし、さらに失敗していたことや、渡瀬恒彦との結婚生活中に子宮外妊娠したことがあるという話だ。大原が顔にメスを入れたのは、98年のNHK大河ドラマ『徳川慶喜』に出演した直後で、「もうすぐ2000年がくる。自分も心機一転、何か変わらなければ」と、一重だった左まぶたを整形したのだという。

「左目は一重、右目が二重で、昔は楊枝で(瞼に)筋を入れて固めて接着して二重にしてました。53歳で過去の自分への決別のため整形手術したんですが手術は失敗。僕の反対を無視して勝手にアルバイトの先生に(整形手術を)やってもらったんです」

 医師のミスなのか定かではないが、顔面が腫れあがってしまい、出演が予定されていた映画の降板を余儀なくされた彼女は、その後再手術を行い元に戻したそうだが、精神的に病んでいったという。さらに、渡瀬恒彦との離婚理由に、彼女の子宮外妊娠があったとも話した。子宮外妊娠とは、文字通り、受精卵が子宮内腔以外の場所に着床してしまう症状で、通常の妊娠と同じように「生理が遅れているな」などの自覚をもって婦人科を受診したら子宮外妊娠であった、ということも少なくない。整形手術についてもそうだが、言うまでもなくきわめてプライベートな事象であり、わざわざを死後に暴露する必要性はない。おまけに彼は姉の自宅に番組のカメラクルーを招待し、彼女の寝室にまでカメラの侵入を許した。当然のことながら、政光氏が姉の人生を切り売りして、荒稼ぎしていると見る向きもある。

「昨年、前田忠明の出した大原麗子暴露本『大原麗子 炎のように』(青志社)も弟の政光氏が監修している。本の中でも整形手術には触れていました。故人を利用しているとしか見えないビジネスには元夫である渡瀬や森進一も苦々しく思っているのでは。孤独な最後を迎えたとされているうえ、死後もこのような目にあっては、本人も浮かばれないでしょう」(芸能記者)

 実弟の行状を、故人はあの世からどのような眼差しで見つめているのだろうか。

『大原麗子メモリー ずっと好きでいて』

 
美しい女優さんでした


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