8日に放送された『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)に、韓流アイドルのT-ARA(ティアラ)がゲスト出演した。昨年夏、デモにまで発展した韓流ゴリ推し批判を受けて(その影響がどれほどのものかの判断は難しいが)、視聴率三冠の座を奪われたフジテレビとすれば、できるだけ波風を立てず、視聴率を稼ぎたいところのはず。にもかかわらず、なぜフジテレビは韓流アイドルたちを起用し続けるのだろうか。その問題の前に、まずはネットユーザーらによるフジテレビ批判を振り返ってみたい。
ネットユーザーらの指摘する電通云々・版権どうこう・在日etcという日本のメディアが抱える事情は把握している。また、そういった問題点を踏まえた「フジテレビの韓流ゴリ推しを許すな」という彼らの主張には賛同する。ただ、その問題は偏った放送をするメディアの姿勢に向けられていたものに限る。しかし、今や韓流好きを公言した時点で闇雲におされるのは、”韓国の手先”というレッテル。KARAや少女時代といった韓流アイドルの魅力を語るだけでも、そういった類の批判は避けられない状況にまでなっている。
以前記者は「ネトウヨはもてない」という、フジテレビ批判をする人々を”ネトウヨ”と形容した記事を書き、多くのネットユーザーから「オレはネトウヨじゃないけどフジテレビは見ない」「人のことを勝手にネトウヨと決めつけるな」などといった批判を受けたことがある。ネトウヨという単語を安易に使ったせいもあるだろうが、こういった反応には少々驚いた。なぜなら、彼らは自分たちのことを”ネトウヨ”だと自覚していると思ったからだ。しかし実際はそんなことはないらしい。
記者のブログに寄せられた非公開のコメントでは、明らかに民族主義的な国粋主義者の臭いのする者からの批判でも、末尾には「自分はネトウヨではない」とあった。彼らがネトウヨでなければ一体誰がネトウヨだというのだろうか。どうもネトウヨという人々の特徴は、その自覚症状のなさなのかもしれない。ネトウヨというのは、人々の頭の中にだけ存在するものなのだろうか。そんなことを書いているとまた批判が寄せられそうだが、それはそれで歓迎する。話が逸れたが、韓流偏向放送批判だったはずの抗議が、韓流そのもののを否定するまでになった今の韓流批判。そこには日韓のアイドル事情の違いが垣間見える。
多くの人が指摘するように、日本のアイドルの特徴はその「不完全さ」にある。それは80年代のアイドルブームから受け継がれた日本独特のアイドル文化だ。そして、その不完全さの魅力とは、「不完全な自分と合わせて一体化できる」という点ではないだろうか。つまり、アイドルのファンというのは、不完全なアイドルと不完全な自分を重ね合わせ、一体となり、完成させることで大きな喜びを得る。これが日本のアイドルとファンの関係といえるだろう。そして、この一体となる喜びは、性的な興奮とは一線を画す。それが証拠に、日本ではアイドルとはまた違う、性的興奮を満たすためのアイドルが生まれた。グラビアアイドルである。
よく、AKB48に対して「どこにでもいそうじゃん」という否定的意見を耳にする。が、この意見は正しい。なぜなら、そういった「どこにでもいそうな感じ」こそが、不完全さを象徴しているからだ。先日目にしたAKB48のバラエティ番組で、彼女たちが街を歩いているシーンがあったが、そこに映っているのは、ダラダラと歩くただの少女である。きっと彼女たちは”芸能人らしい歩き方”というものを教えられていないのだろう。それをしてしまうと完全な形になってしまうからだ。あえてそうしないことで、不完全さを強調させているのだろう。AKB48とは、つまり日本のアイドルの正当な後継者なのである。
一方、韓流アイドルたちは歌も踊りもスタイルも顔も完璧である。もちろん、そこにはセックスアピールという魅力も含まれる。何から何まで完璧なアイドルというのは、これまでの日本アイドル史には存在しなかったのではないか。もちろんそれは日本のアイドルとはまったくの別物。比べることがおかしいというものだろう。しかし、同じ”アイドル”として彼女たちが何かにつけて比べられているのもまた事実。メディアによる、その勝ち負けにも似た浅はかなものさしが、ネットユーザーらの反感を買い、韓流偏向放送批判を韓流批判と発展させたのではないだろうか。
アイドルでもグラドルでもAV女優でもない韓流アイドル。多くの視聴者は彼女たちの笑顔に癒され、歌を口ずさみ、踊りを真似、また下半身をうずうずさせる。そんな彼女たちは、これまでの日本の芸能界にはいなかった完璧なアイドルという新種としてテレビに出る。テレビ側はそうした彼女たちの新鮮さに目をつけているのだろう。しかし、そのあまりの完璧さはやがて多くの日本人の飽きを誘うに違いない。なぜなら日本人には古来から「不完全なもの」に対する美意識というものが備わっているからだ。欠けているから愛おしいというのは日本人の普遍的な感情だ。そしてそんな感情の上に、世界でも稀に見るアイドル文化は成立した。
下品な言い方をすれば、今の韓流アイドルに対する感情は「一発やりたい」というものなのではないだろうか。記者はそう思う。きっと、その一晩のアバンチュールを経れば、今の過熱した韓流ブームも沈静化するだろう。未だに多くのネットユーザーらは力強く韓流批判を繰り広げているが、それぐらい余裕を持って韓流アイドルを見てみるのもいいのではないだろうか。きっと彼女たちの新たな魅力が見えてくるはずである。
(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/)
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