高校・大学を卒業し社会に出ると、日々の忙しさに追われて、目の前にある事案をこなすだけで精いっぱい、余暇を持つゆとりすらないという人も少なくないようだ。中には、満足に休みすら取れないという話も聞く。そういった慌ただしい毎日が続くと、「子供の頃は良かった」と懐かしく思うこともあるだろう。春休み・夏休み・冬休みなど、数週間~一カ月ものまとまった休みをとることが出来たのは、まさに子供の特権である。
ところで子供の頃といえば、どのような遊びをしていただろうか? 大人になるにつれ、子供の頃の記憶が曖昧になっていくものだが、ちょっと思い出していただきたい。かくれんぼや鬼ごっこなどのメジャーな遊びは、男女問わずほとんどの人が経験したかと思うが、男児しかしない遊びも存在する。といっても、チャンバラなどのことではない。ここでは、「性器の見せ合い」に着目してみたいと思う。
立ちションで誰が一番遠くに飛ばせるかを競い合ったり、一つの便器に皆で放尿したり、さらにはオナニーの見せ合いなど、男性なら一度は経験したことがある遊びだろう。それらの遊びに共通していえるのは、決して「性器を見せ合うこと」自体がメインではないが、結果として「性器を見せ合っていることになる」、という点。
それに対して女性は、「女の子同士で性器を見せ合うこと」を伴う遊びはいっさいしていないという。オシッコの飛距離を競い合ったり、一つの便器に皆で放尿したり、ましてやオナニーの見せ合いなどの遊びをしていたという話は、女性の口から聞いたことがない。これには、身体の構造上、男性のほうが性器を見せやすいという理由も関係しているのだろうが、こういった子供時代の体験が、大人になってからのセックススタンスに影響を与えているのではないだろうか。
つまり、女性のほうが、セックス時にハダカを見られることを恥ずかしがる傾向が強く、当然のことながら「普段やっているオナニーを見せてよ」と言っても、首を縦に振る人は滅多に存在しない。男性だと、セックス時にペニスを見られることを恥じらう者はほとんどいないし、場合によっては手コキを披露することもある。
だが逆に、女児しか行わない遊びも存在する。それこそが「オッパイの触りっこ」。これは、子供の頃の遊びというよりも、思春期~現在進行形で行なわれているといったほうが適切かもしれない。更衣室などでは日常茶飯事に目撃されるシーンであるし、飲み会などでも、酔っ払った女性同士が、互いのバストサイズを褒め合い、揉み合いに発展するという場面を目撃した人もいるかと思う。対する男性は、同性同士でペニスや陰嚢を触り合うことはまずないだろう。
「性器の見せ合いは行なうが、触り合うことはない男性」と「オッパイの触り合いは行なうが、性器を見せ合うことはない女性」……こういった性差は、理解することは難しいが、知識として頭の片隅にでも置いておけば、必ずやセックスにおいて役に立つはずだ。
要するに、女性とは「見られるよりも触られたい」性分であるということ。ごく単純な法則である。むろん、全ての女性にあてはまるというわけではない。中には、「是非とも見てほしい!」という女性もいるだろう。だが、そういった例外は別として、ほとんどの女性は「見られるよりも触られたい」のだ。よって、性交時に電気を消すことを頑なに拒むオトコなど、女性にとっては論外。視覚で興奮を得るオトコとしては、できれば明るい部屋で挑みたいものだが、良好な肉体関係を継続させるためには、一歩引くことも大事である。そもそも、電気を消しても、じきに目が慣れてくるのだから。
同様に、「オナニー見せて!」という言葉もNGワードである。オトコにとって女性のオナニーとはなんとも興味をそそられる行為であるが、女性には「性器を晒す」という習慣がないのだ。性器を見せることにすら乗り気でないのに、さらにそこを弄れといっても無理がある。
そのぶん、触られること……すなわちペッティングには抵抗を示さない女性がほとんどである。オッパイに限らず、全身あらゆる部分をどうか思う存分愛撫していただきたい。女性は、全身が性感帯であるといっても過言ではない。男性がペニスサイズを気にするのに対して、女性は髪型・目鼻立ち・スタイル・美脚であることなど、全身を気にする生き物。つまり、カラダ全体がペニスであると主張する精神医学者もいる。よって、愛撫重視のスタンスをとれば、やがて引く手あまたのモテ男となれるだろう。
(文=菊池 美佳子)