芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、芸能界の裏側に横たわるオトコとオンナの深い業を掘り起こします。
女優の菊池桃子とプロゴルファーの西川哲が離婚したが、筆者が西川の不倫を取材したのは今から5年くらい前だっただけに、「よくもここまでもったな」というのが偽らざる感想だ。
西川は、昭和30年代の歌謡界をリードした老舗プロ「新栄プロダクション」の西川幸男会長と歌手の五月みどりとの間に生まれた。12歳の時にゴルフを始め、高校卒業後にプロゴルファーとしてデビュー。その後、ゴルフのプロアマ戦で一緒にラウンドしたことをきっかけに、菊池と結婚。2人の子どもが生まれたが、プロゴルファーとしては目立った活躍はなく、獲得賞金がほぼゼロのような年も続いた。そんな折、いわば無収入状態の西川が銀座8丁目のクラブビルにある高級クラブ「G」に通い始めたという情報を入手した。さっそく客を装って、Gに取材に行った。すると、西川のお目当ては、GのチーママのAさんだということが判明した。偶然にも、筆者はAさんとはホステス時代からの顔見知りだった。Aさんには子どもがいた。西川は子持ちのチーママに惚れてしまったようだ。西川はその後、頻繁にAさんと同伴出勤を繰り返していた。
そういえば、最近では、元プロ野球選手の清原和博と銀座7丁目の高級クラブ「R」のMママとの関係が同じようなケースといえるだろう。ウワサではMママも子持ちだという。そんな2人の関係が発覚したのは2年前。一時、清原は親しいホステスに、「下の子どもが有名私立の幼稚園に入園したら、離婚してMママと結婚する」と言っていたほど、惚れこんでいた。しかし、清原の下の子どもは、長男に続いて慶應幼稚舎に合格。亜希夫人の”教育ママ”ぶりが高く評価されたことで思いとどまったのか、離婚の話は立ち消えになった。
そんな、銀座にハマった2人の大きな違いは、清原が自分で稼いだ金でクラブ通いしていたのに対して、ツアーでの獲得賞金が少なく、コーチ業が主な収入源だった西川には、そんな余裕は到底なかったことだ。菊池桃子は結婚後も主にCMタレントとして稼ぎ、生活を支えてきたといわれるが、西川はそんな菊池に甘えて、遊ぶ金を捻出していたのだとすれば、”ヒモ亭主”とのそしりを受けても仕方がない。さらに、チーママのAさんに入れ上げていたのだから、すでに5年前に菊池から三行半を突きつけられていてもおかしくなかった。それでも菊池は、「子どもが大きくなるまでは」と我慢したようだ。菊池の忍耐力に脱帽する。
(文=本多圭)
遊びもほどほどに……