昭和36(1961)年7月18日、東京で起きた事件。その日の午後2時50分頃のこと、警視庁に若い女が「交際相手を殺した」と自首してきた。これを受けた同捜査一課は、女の供述から目白署らに連絡、捜査員が女の住む豊島区のアパートに急行すると、布団の中で若い男性が死んでいるのを発見した。遺体の首には、縄跳び用のロープが巻きつけられたままであった。
取り調べの結果、女は事件のあった部屋に住むK(22)で、遺体で見つかったのは大田区に住む大手証券会社社員のMさん(24)であることが分かった。
Kは事件から4年ほど前に茨城県の高校を卒業し上京、某メーカーに勤めていたがかなりの美人だったため銀座のデパートに転職した。すると、同じ高校の出身で中央大学に通っていたMさんと再会し、交際を始めるようになる。そして、1年ほど前にKは妊娠し、結婚の話まで出るようになる。
ところが、これにMさんの両親が猛反対。実はKは孤児で身寄りがなかったため、「そんな女との仲は認めない」とかたくなに拒絶。挙げ句には、Mさんまで「高卒で大学の出ていない女とは結婚できない」などと言い出す始末。そこで、Kは仕方なく中絶し、その年に大学を受験した。しかし、受験には失敗してしまう。
「来春、大学に合格できる自信はない。それに、もし合格したとしても、あれほど反対していたMの両親がすんなり結婚を許してくれるとは思えない」
そう悲観したKは、7月17日の夜から自分の部屋に泊まりにきていたMさんに「結婚できないのなら一緒に死んで」と持ちかけたところ、Mさんは驚きつつも結局は納得したという。
その2人が相談して決めた心中の方法が、「ジャンケンをして勝ったほうが負けたほうを絞め殺し、その後で睡眠薬を飲んで自殺する」というものだった。そして、ジャンケンの結果、Kが勝ったため、Mさんを縄跳びのロープで絞め殺した後、睡眠薬を飲もうとしたが怖くなり、警察に出頭したという次第であった。
ただし、この話はKの供述だけによるものであり、Mさんが死んでしまっている上、目撃者などもないことからすべてが真実かどうかは分からない。またMさんであるが、Kに中絶するよう迫ったり、大手証券会社勤務でかなりカネ遣いが荒かったりするなどの問題のある男性であったらしいことから、結婚の意思がないのに自分を都合のいいセックスフレンドのように扱っていることに、Kが嫌気がさして殺したとも考えられる。
事の真相はともかく、当時の各メディアはこの事件を「ジャンケン心中」として大きく取り上げた。
ちなみに昭和36年といえば、女子大生の数が急激に増加していった年でもあった。文部省(当時)の統計によれば、1961年度の大学文学部の女子学生の総数は約37%だった。もはや「女子大生」は珍しくない時代に突入していたのである。
(文=橋本玉泉)