『竹久夢二―大正モダン・デザインブック』/河出書房新社
竹久夢二といえば、優しげな瞳と細くしなやかな体の女性画で知られる人気画家である。女性にもファンが多い画風の作家だが、絵画以外にも詩や短歌、童謡なども多く手がけ、著書も多い。「待てど暮らせど来ぬ人を」で始まる名曲「宵待草」も夢二の詩に曲をつけたものである。生前から今日まで、庶民に親しまれる芸術家であることは間違いないであろう。
だが、それら芸術の香り高い作品群とは裏腹に、男女関係ではドロドロした修羅場と絶望の連続だったと伝えられる。
明治17年、岡山県に生まれた夢二は、早稲田実業在学中、21歳の時に雑誌『中学世界』へ応募した作品画が一等入選。これをきっかけに早稲田実業を中退し、絵の道を志す。夢二の名もこの頃から名乗るようになる。
やがて雑誌などに挿絵を描くようになった夢二は、明治39年11月に早稲田の鶴巻町に開店した絵はがき店「つるや」の女主人・岸たまき(25、本名・他万喜)に夢中になる。美人で評判だったたまきを目当てに、つるやには連日男たちが立ち寄っていたが、夢二はそれら恋敵を押しのけ、ついにたまきと交際するに至る。明治40年、たまきと出会って1年も経たないうちに入籍。そして翌年の41年2月には長男が誕生する。ちなみに夢二を有名にした瞳の大きな美人画は、このたまきをモデルにした作品だった。そして、夢二が25歳の時に出版した画集『夢二画集・春の巻』がベストセラーとなり、竹久夢二は人気画家として一躍有名になる。
ところが、結婚直後から2人の仲はぎくしゃくし始める。もともと夢二は浮気性の上に、2人そろって嫉妬深いときていた。そのため、新婚生活はケンカが絶えず、42年5月には離婚する。それで関係を清算したかに見えたが、夢二は浮気癖の上にさらに未練がましい性質だったためか、離婚後も2人は同居と別居、ケンカとベタベタの生活を、何度も繰り返している。夢二の浮気性はかなり根が深いものだったらしい。ある時、夢二とたまきが2人で旅行した際、旅先で知り合った若い姉妹の妹に夢二は手を出す有様で、そのことをたまきも著書に書き残している。
その後、大正3年に東京・日本橋に絵草紙店「港屋」をオープン。たまきを店主にして自らの作品などを販売した。港屋は評判となり、画家や詩人、小説家、学生などが集まるようになる。
しかし、ここでも男女関係のトラブルが起きる。まず、たまきが港屋に顔を出していた17歳の学生と男女の関係となった。それを知った夢二は激怒。2人が「親密にしている」現場を押さえた夢二は、野球のバットを振り上げて学生に襲いかかった。驚いた学生は、素っ裸のまま服をつかんで、路上を一目散に逃走した。この裸で逃げ帰った学生こそ、後に独特の女性画で有名になり、「二科会の帝王」と称される画家、東郷青児である。
しかし、このたまきの不貞は、そもそも夢二が温泉地で芸者と楽しんでいる間に起きたともいわれていることから、原因を作ったのは夢二の浮気癖が原因と言えなくもない。にもかかわらず、これが原因で後になって夢二は呼び出したたまきを嫉妬のあまり短刀で刺す事件を起こしているわけだから、何とも勝手な話である。
その夢二だが、港屋に足しげく通ってきていたファンの女子学生、笠井彦乃と親しくなる。最初は「私も夢二先生のような絵が描きたい」と慕っていた彦乃だが、それを生来ともいえる女好き夢二が放っておくわけがない。ほどなく2人は恋愛関係になる。
しかし、これを知った彦乃の父は激怒。妻子ある男との交際など許さぬと、彦乃を実家に軟禁する。だが、夢二は彦乃に「家を捨てて自分のところに来い」と何度も連絡して迫った。その熱意というかしつこさに負けた彦乃は、ついに父親にウソをついて実家から脱出。京都に移っていた夢二と会って同棲を始める。大正6年のことだった。
彦乃は心優しい女性で、しばらくは穏やかな生活が続いた。ところが、体が弱い彦乃はまもなく体調を崩してしまう。それを知った父親は夢二の元から彦乃を奪い、まず京都の病院に、さらに東京の順天堂大学病院に入院させる。夢二もこれを追うように東京の本郷に移り住む。
だが、その後も彦乃の容態は悪化するばかりで、大正9年に死亡してしまう。最後まで夢二を気づかう優しい女性だったという、
これにはさすがの夢二も精神的に大きなダメージをこうむり、生ける屍のようになった。だが、見かねた芸術家仲間が連れてきたモデルを見た途端、たちまち元気を取り戻し、そのモデルのお葉こと本名・永井兼代をモチーフにして制作活動を再開。もちろん、その前にお葉と男女の関係になったことは言うまでもない。
お葉は女性としても、モデルとしても最高だった。それでも、夢二の浮気癖は直ることはなく、その後さらに人妻と関係を持ったことでお葉からも決別を言い渡される。
不幸な女性遍歴を続けた孤高の画家が死んだのは、昭和9年のこと。50歳の誕生日を目前にしてのことだった。
(文=橋本玉泉)