アメリカ・ミシガン州で先日成立したある法律が、米国内外で波紋を呼んでいる。その法律は、「マット安全法」(Matt’s Safe School Law・「マットの安全な学校法」)と呼ばれるもので、学校におけるいじめや嫌がらせなどの行為を禁止し、子供たちの生命や権利を保護する内容となっている。
この法律の名は、2002年に度重なるいじめを苦に14歳で自殺した少年、マット・エプリング君に由来する。マット少年はゲイであることを理由に執拗ないじめを受け、それが原因で自ら命を絶った。この事件がきっかけとなり、「マット安全法」が成立の運びとなったという。
しかし、その内容の一部に、次のような記述があるらしい。
“does not prohibit a statement of a sincerely held religious beliefs or moral convictions from being considered bullying”
その意味としては、だいたい次のようなところであろう。「いじめ行為が誠実に申し立てられた宗教的な確信や道徳的な信念に基づくものである場合は、禁止することはない」
つまり、この記述を見る限り、たとえそれがいじめであっても、宗教的な考えからのものであったり、道徳的な観点から行われていたりするようなケースは、禁止対象から除外される可能性があるというわけだ。
さて、アメリカで影響力が最も強い宗教と言えば、いうまでもなくキリスト教であるが、その経典のひとつである『旧約聖書』では、同性愛について罪であると指摘する記述がいくつも認められる。具体的には、「創世記」19章や「レビ記」18章、「ローマ人への手紙」1章、「コリント人への手紙」6章、「テモテへの第一の手紙」1章などには、同性愛とくに男性同性愛について、罪または人としての道に背くものと表現されている。
すなわち、これらの聖書の記述を引き合いに出せば、いじめを法的に正当化することも可能になってしまうかもしれないわけである。
アメリカではこの点が早速議論を呼び、「いじめ防止どころか、いじめにライセンスを与えるに等しいものだ」などと、疑問や批判が続出。ネット上でも激しく意見が交わされている。さらに、マット少年の父親であるケビン・エプリング氏も、このような法律に息子の名前が冠されることに反対の意を示しているといわれており、「(この法律は)政府公認の偏見を認めるもの」といった発言をしたとも伝えられる。
もちろん、キリスト教においても意見や解釈はまちまちで、同性愛をただちに否定する意見ばかりではないという。しかし、これまでにもゲイであるというだけで暴行を受けたり、虐待されたりしたというケースはアメリカ国内では珍しくない。それだけ、キリスト教の影響力が強いともいえよう。
ともあれ、この『マット安全法』の行方、とくに運用が気になるところではある。
(文=橋本玉泉)
アメリカを知る、宗教を知る