三大NGプレイ……どんなに愛する人に求められても絶対ムリな行為とは

※イメージ画像 photo by Zσzσ •• βèяяч from flickr

 片想いでも両想いでも、恋愛をしている時期とは、やたら「愛とは何ぞや?」と物思いにふけってしまうものである。愛とはいったい何なのだろう。「見返りを求めないのが愛だ」という人もいれば、「愛する人のためなら何でもする!」という自己犠牲的な精神を愛だという人もいる。例を挙げるなら、「幸福な王子」が分かりやすいかと思う。オスカー・ワイルドの短編小説で、宝石で作られた王子の像が、「貧しい人々に、自分の宝石を運んであげて」とツバメに頼み、体じゅうの宝石を分け与えたことによって、みすぼらしい姿になり、最後には取り壊されてしまうという内容だ。男女間の恋愛物語ではないが、「自己犠牲的な愛」という意味合いにおいては通じるものがあるだろう。

 さて、私たちは「幸福な王子」のように「愛する人のためなら何でもする」ことが果たしてできるだろうか。例えば、金銭の貸し借り。「愛する人のためなら何百万でも何千万でも惜しまない」というタイプと、「どんなに愛しい人にでも、びた一文たりとも貸す金はない!」というタイプに分かれるかと思う。では、性行為においてはどうだろう。愛する人に求められたプレイが、自分の望まない行為だとしたら、あなたはそれを受け入れられるだろうか。

 男女問わず、「どんなに愛する人に求められたとしても『これだけは絶対にNG』というプレイは何か?」と尋ねたところ、ほとんどの人が「同性同士でのセックス」「スカトロプレイ」「獣姦」と答えた。

 まず同性間のセックスに関してだが、「同性愛者に対する偏見などはいっさいないが、自分自身は異性愛者なのでムリである」とのこと。筆者自身も、6年前にAV事務所の門を叩いた際の面接で、「これだけはできないプレイは?」と聞かれ、「同性同士はご勘弁を」と答えた記憶がある。

 次にスカトロプレイに目を向けてみよう。スカトロとは、糞尿に性的興奮を見出し、性行為において排泄・塗糞・飲尿・食糞を行うことである。おそらく、ほとんどの人が抵抗感を示すプレイかと思うが、一方で熱狂的な愛好家も存在し、スカトロジストのためのAV作品や風俗店も少なくない。愛好家いわく「幼い頃から目覚め、成人して開花した」「愛する人の全てを受け止めたい(食糞経験者)」とのことだが、やはり多くは語ってもらえなかった。万人に理解される嗜好ではない、ということが影響しているのだろう。その一方で、「尿はスカトロのうちに入らない。スカトロといったら、なんといっても糞である!」という本格的な意見も飛び出した。スカトロのはっきりとした定義に関しては、人それぞれかと思うが、スカトロジスト以外の人でも「排尿を見せるまでなら可能」「パートナーの排尿を見たい」「アナルセックス前の浣腸は、事前準備として行っている」など、一歩手前の行為までならOKという人もいるようだ。

 ところで、アナルセックスに関してだが、「痛みに対する恐怖があるので、アナルセックスを求められるくらいなら、排便を見せるほうがマシ」「過去に一度経験した際、放屁が半年間”すかし”になってしまった。二度と御免だ!」「”痔主”なのでムリです」など、苦手意識を持つ人が多いということも明らかになった。アナニー(アナルオナニー)という言葉が市民権を得ようとしている昨今だが、まだまだ万人ウケするプレイではないようだ。アナルセックス経験を持つ女性からも、「求められれば応じるが、できれば前の穴でお願いしたい」という切実な声があがった。

 話を元に戻そう。「三大NGプレイ」の最後は獣姦である。ズーフィリアといって、人間が人間以外の動物と行うセックスを指す。受精したとしても、染色体が違うのだから妊娠に至ることはないが、衛生上や道徳的な観点からタブーとされているプレイと言っていいだろう。しかし、実際の経験の有無はさておき、興味を持つ人がいるのも事実である。それは今に始まったことではなく、ギリシャ神話には、動物に変身した大神ゼウスが人間の女性と交わる話が出てきたり、日本の春画にも、海女がタコに犯される様子が描かれている作品もある。とは言え、現実には難しい行為であることは言うまでもない。そのため、バーチャルで、ネコやウマに扮してのイメージプレイで満足を得ているという人もいるようだ。「イヌとするのはイヤだが、イヌとして扱われるのはイヤじゃない」というユニークな意見も聞かれた。

 以上が、代表的な「三大NGプレイ」である。「自分とは遠い世界の話」と感じるかもしれないが、いざ愛する人から求められた時に動揺しないためにも、今から心構えをしておいたほうが良いかもしれない。
(文=菊池 美佳子)

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