メンズサイゾー事件簿

「殺すべき時には殺すべし」連続猟奇連続殺人犯、ジョン・N・コリンズ

※イメージ画像『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』/マクザムより

 アメリカにはセックス関連の凶悪犯が少なくないが、そのなかで「ミシガンの猟奇殺人鬼」と恐れられたのが、イースタン・ミシガン大学に通う学生、ジョン・N・コリンズ(22)だった。

 ミシガン州のイプシランティ周辺で、1967年8月から69年6月にかけての2年間に女性ばかり6件の殺人事件が連続して発生した。遺体は、ピストルでの射殺や首を絞めての絞殺のほか、ナイフで刺殺、鈍器のようなもので頭部を殴りつけての撲殺など、あらゆる手段で殺害されていた。しかも、遺体はすべてさんざん陵辱された形跡があり、さらに胸や性器を刃物のようなものでえぐり取られていたり、メチャメチャに切り裂かれていたりと、極めて猟奇的な特徴で共通していた。

 警察も必死に捜査を進めた。だが、残念なことにいずれの事件にも物証が少なく、事件は迷宮入りになるかと思われた。

 しかし、69年7月、やはりイプシランティ付近で18歳の女性がレイプされたうえに絞殺される事件が起きる。これで、一連の犠牲者は7人になった。そして、事件の直前に被害女性が若い男と一緒にいるところが市民によって目撃されていた。この目撃証言から、大学生のコリンズが浮かび上がった。

 すると、学生たちの間から、「やっぱりヤツが犯人か」という声が上がった。コリンズは日頃から「殺すべき時には殺すべし」などといった言動を繰り返し、また、「ミシガンの連続殺人の犯人は、実は俺だ」などと、冗談交じりに口にすることもあったという。

 そこで警察はコリンズを呼んで事情を聞いたが、「冗談ですよ」と笑うばかり。しかも物的証拠が無かったため、コリンズを釈放するほかはなかった。

「もはや打つ手はなしか……」

 警察があきらめかけていた頃、意外なところから捜査が進展する。コリンズの伯母が地下室の床に見慣れない血痕があるのに気がついた。そして、伯母夫妻が休暇などで不在の時に、しばしば家を使っていたのがコリンズだった。

 そこで、伯母は警官である夫に血痕のことを相談し、コリンズは再び警察に呼ばれた。コリンズはまたも「伯母さんたちが留守の時、よく地下室も使っていたからね。その時、ケガでもしてついたんだよ」とはぐらかした。

 しかしその時、血痕の血液型が7番目の被害者となった18歳の少女のものと一致したことが確認されていた。しかも、新たに物的証拠まで発見された。被害者の少女の下着には、細かく切られた人間の毛髪らしきものが付着していた。そして、その地下室はコリンズの伯母がしばしば子供たちの散髪に使用していたのである。警察は下着についていた毛髪と地下室から採取した毛髪を顕微鏡を使って照合したところ、同じものである可能性が極めて高いことが判明した。

 これらの証拠を元に、コリンズは起訴された。そして70年、コリンズに7名の女性に性的暴行を加えて虐殺した罪によって、有罪判決が下された。その罪名は「重労働を課す終身刑」だった。ミシガン州では1876年に死刑が廃止されていたからである。
(文=橋本玉泉)

『SHOCKER ショッカー』

 
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