女同士が恋人同士で同棲生活。そう聞いたとき、人はどんなものを思い浮かべるのだろうか。
「レズビアンの同棲って、どんなイメージ?」
と、周囲の、レズビアンに対して嫌悪感のない人々に尋ねてみたところ、「なんかいいにおいがしそう」「かわいい感じがする」そんな答えが返ってきた。ずいぶんいい方向にイメージしていただけているのだなと、うれしいのと同時に、なんだか尻の辺りがムズムズするような心持ちにもなった。
私はレズビアンである。そして、同性のパートナーと暮らしている。学生のころに知り合った彼女とは、付き合い始めてすぐ一緒に暮らし始め、就職に伴う引っ越しを経て、もう5年ほど生活を共にしている。そんな彼女との同棲生活は、人々のイメージとは、かなりかけ離れたものだ。
いや、確かに部屋は臭くはない、とは思う。猫がいるので、その獣臭を消すため、換気とファブリーズを欠かさないからだ。かわいいかどうかは……インテリア雑貨や、趣味で集めている絵本などもちらほら飾ってあるので、そう言えないこともないだろう。ただ、それだけだと、男女の同棲と変わりはないと思う。
男女の同棲カップルと、決定的に違うだろう点はほかにある。
愛する人と暮らす部屋に、ゴムの伸びきったパンツ(楽なのでなかなか捨てられない)とか、むき出しの生理用品などが転がっていたりすることだ。男女カップルの部屋ならば、さすがにナプキンがその辺にコロコロしていたりはしないだろう。
つまりそういうことなのだ。
恥じらいが、ない。ほとんどゼロに近いほど、ない。
レズビアンの同棲にロマンがない、というのは、そこに尽きる。
その例を以下に記そうと思うのだが、レズビアンに対して”夢を持っていたい”という方は読まないほうがいいかもしれません。
さて。例えば朝、彼女がトイレから出てきたら、私は話し掛ける。
「どれくらい出た?」
彼女は誇らしげに答える。
「てんこもりだよ! 今日も超快腸だし!」
「おおっ、いいなあ。私なんか三日もお通じがないよ~。そろそろ便秘薬のお世話にならなきゃかなあ」
そして夜。仕事から帰ってきた彼女(ちなみに彼女はショップ店員として華々しく働いている。一方、私は文章をせこせこ書いてどうにか生きている)は、部屋に入ってきた途端、服を脱ぎ散らかし始める。
「疲れた~」
あっという間に全裸になる。その瞬間、私は彼女の胸に、ひょろんと長い毛が一本生えているのを発見する。
「ちょっと待って! 抜いてあげるから!」
そう言って、私はおもむろにその毛を指でつまみ、ぷつんと抜く。彼女は恥じらうこともなく、ノーブラのまま普通に部屋着を着る。
ちなみに、抜くのは胸の毛だけではない。夏場になると、ワキのムダ毛をお互いに抜き合いっこすることもよくある。自分で自分のワキ毛を抜くのが難しいからである。そういえば以前、彼女の陰毛をカットしたこともあった。
ほかにも、風呂上がりには、早く上がった方がおりものシートを二人分のパンツに装着しておくとか、おならをしても完全スルーとか、枚挙にいとまがない。
それにしても、一体いつからこんなに遠慮がなくなってしまったのだろう。いまいち思い出せず、彼女に聞いてみたところ、
「初めからなかったような気がする」
ということだった。
思い起こせば、私たちは最初友人同士であり、その後親友、そして恋人というプロセスをたどった。その途中で、ロマンだとか遠慮だとかを落っことしてきてしまったらしい。恋人同士になったころには、すっかり現在のような関係になっていたのだった。
ちなみに、彼氏と半同棲中の友人にこれらのエピソードを話したときは、
「……熟年離婚直前の夫婦レベルで恥じらいがないよね。もうちょっと気を使いあったら?」
とたしなめられた。その意見に関しては、もっともだと思う。
確かに、外から見ると度が過ぎるかもしれない。
でもいいのだ。たとえ恥じらいがなくても、私は彼女のことが大好きだ。彼女のワキのムダ毛を抜きながら、そのほんのりとしたワキ臭に欲情することだってある。彼女に対して愛情と性欲を感じる限りは、恥じらいなどなくてもやっていけると思うのだ。
最後に。もし、キレイでかわいらしい、恥じらいもきちんとある同棲生活をしているレズビアンカップルが居らしたら、大変申し訳ありませんでした……。
(文=嶋陶子/(レズビアンライターの普通な日々))
嶋 陶子(しま・とうこ)
某文系大学卒業後、婦人服の販売員として働いていたが、全く向いていないことを悟って辞職。ライターの道に入る。レズビアンであり、女性パートナーと同棲中。
百合っていいものですよね