「飛びますっ飛びますっ」追悼・昭和の名コメディアン

 すでに全国を駆け巡ったニュースだが、坂上二郎さんが天国に飛んでいってしまった。享年76歳だった。

 テレビバラエティーの先駆者として後世に多大な影響を与えた二郎さん。今回、当メンズサイゾーでは哀悼の意を込め、コント55号の足跡と功績を振り返ろうと思う。

1934年生まれの二郎さんと41年生まれの萩本欽一さんによって結成されたコント55号。彼らの活躍は名作コント「机」から始まった。このコントは、政治家の演説を模したもので、欽ちゃんが政治家役、二郎さんがその秘書という設定だ。

 コント開始早々、二郎さんに呼ばれて登場した欽ちゃんは、猛然と彼の背後から駆け寄り、「反対だよ!」と二郎さんを張り倒す。その欽ちゃんの豪快さやたじろぐ二郎さんの姿は、見ている視聴者の度肝を抜き大きな笑いを生んだ。

「今度はちゃんと呼んでよ!」
 
というセリフを残して幕を引けた欽ちゃんを再度呼び込む二郎さん。お笑いのお約束として、欽ちゃんは、さらに逆から登場し、二郎さんに向かって飛び蹴りをかます。張り倒しから飛び蹴りへの強烈な変化と、さらに大袈裟に前へと転がり狼狽する二郎さんの姿はより滑稽さを増し、笑いは増幅される。

「今度こそ頼むよ!」
 
 再び幕を引ける欽ちゃん。すでに二郎さんは「今度はこっちからだろう」と勘ぐって構えているが、見事にその裏をかいた欽ちゃんにニ度目の飛び蹴りを食らう――。
 
 これぞスラップスティックといった感のあるスピーディーな動きの欽ちゃんと、愛くるしく素直にたじろぐ二郎さんの姿が好対照な名作コント「机」の冒頭である。66年に完成し、披露されたこのコントによってテレビプロデューサーから見初められた彼らは、その後テレビへと活躍の幅を広げることになった。そして68年に始まった公開収録番組『コント55号の世界は笑う!』(フジテレビ系)で、全国的な人気を博した彼らは、演芸ブームの煽りを受けて、70年代のテレビ界を牽引する存在にまで成長した。

 確かに、その後の活躍や存在感を見ると、相方である欽ちゃんの方がお笑い界にとって大きな存在かのように映る。しかし、二郎さんの芸には現代のお笑い文化にとって必要不可欠な要素となっているものがある。それは「リアクション芸」だ。

 80年代後半から90年代前半にかけて誕生したと言われるリアクション芸。その発端は、『風雲!たけし城』(TBS系)とも『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)とも言われている。そしてその定義は「自分にふりかかった災難で人を笑わせる」と規定できる。今では出川哲朗やダチョウ倶楽部がその筆頭を担うリアクション芸人、その源泉は二郎さんにあると言えるだろう。

 「自分にふりかかった災難で人を笑わせる」ことは、その災難を深刻に受け止める人間にはできない。誰よりも大らかな心で災難を受け入れ、それによって人が笑うことを自分から喜ばなければならない。先ほど記したコント「机」で、二郎さんは見事にそれを実践している。

 ビートたけしは二郎さんを「最高の受け手」と称す。前述した2番組の生みの親はもちろんたけしである。浅草フランス座出身の彼は、その大先輩でもある二郎さんの「最高の受け手」の芸をリアクション芸として世の中に広めたかったのかもしれない。そしてそれは、現在のバラエティに綿々と受け継がれるほど見事に成功した。さらなるリアクション芸の発展と共に、元祖リアクション芸人のご冥福をお祈りしたい。

(文=峯尾/http://mineoneo.exblog.jp/
著書『松本人志は夏目漱石である!』(宝島社新書)

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お笑い芸人の映画って昔あったよね。


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