明治36年のこと、長崎の三菱造船所で工員として働いていた松門寿平(43)は、友人の妻であるさだ(29)と男女の関係となり、その友人の死後に結婚。コツコツと貯めていた300円という大金を元手に、神戸で団子を売る店を開業した。ここまではよかったのだが、団子の売り上げはさっぱりで、たちまち経営不振に陥った。
そこで松門は、店をたたんで長崎に戻る道を選択。一足先に長崎に向かって準備を整え、さだは後始末をしてから長崎にいくことに決めた。
ところが、いくら待ってもさだは長崎に来ない。家財道具を実家に預けたら、すぐに来るように言っておいたはずである。数日経ち、数週間が経過しても、さだはやって来ない。
「何かの事情で、列車代が足りなくなったのではなかろうか」
そう思った松門は、借金してまで現金を工面し、さだに旅費として送った。しかし、それでもさだは来ない。それどころか、何の連絡もない。ついに待ちきれなくなって、松門は神戸にあるさだの実家へと向かった。
すると、何とさだは別の男と結婚していた。驚いた松門が問い詰めると、さだはさんざん松門に「アンタには愛想が尽きた」と口汚くののしった。不倫の末に松門について行ったものの、開業した団子店は鳴かず飛ばずで、さだも相当に失望したのかもしれない。
これには松門も言い返せず、さりとて長崎にも戻れない。気がつけば、横須賀の海軍工廠で工員として働いていた。
「あの女、絶対に許せない」
そう悶々と思いながらも、なかなか実行に移せなかった。当時、横浜‐神戸間の列車運賃は、最も安い下等ですら3円。現在の価値に換算すると、5~6万円である。一方、横須賀での松門の給料は、日給50銭。だいたい現在の8,000円から1万円である。月給にして、20~25万円程度。列車代を捻出するのは、かなり難しかった。
そうしているうちに、4年が過ぎた。それだけ年月が経てば恨みつらみも忘れることが少なくない。しかし、松門の恨みはまったく衰えることはなかった。
「このままでは、いつまで経っても復讐できない」
そう考えた松門は、明治41年8月28日、上司から給料を受け取ると、その足で列車に飛び乗り神戸へと急行した。
そして翌日29日の夜10時頃、さだの住む家に到着した松門が家の中を覗いてみれば、すでにさだと夫の間には子供が生まれていて、家族団らんの様子だった。それを見た松門は、怒りが頂点に達した。
それから、燃え盛る怒りを何とか抑えつつ様子を見ていると、やがてさだが戸外にある便所を使うために外に出てきた。これはチャンスとばかりに松門はさだに襲い掛かり、持参した軍用ナイフでメッタ刺しにして逃走した。
しかし、松門の身元は明石署によって明らかとなり、その約1週間後の9月6日の夕方、松門は横須賀署員によって逮捕された。
新聞記事にはさだの安否その他は書かれていないが、それにしても、いくら裏切られたとはいえ、4年越しに女に復讐するとは、まさに「蛇のような男」(当時の『朝日新聞』タイトル)である。
(文=橋本玉泉)
恨みって怖いわあ~。
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