あらゆる物事が科学で解決できる現代に、常識では考えられない不可思議な事件が起こった。
10月23日、パリ郊外にある「ラ・ヴェリエール」という小村で、4階建てアパートの2階に住む、一家12人がバルコニーから飛び降りた。乳児1名が死亡し、7人が重症を負うという痛ましい事件だ。彼らが飛び降りた理由は「悪魔から逃げようとしたため」だという。
悪魔の正体は、この家族の一員であるアフリカ系男性だった。しかし彼が鬼畜のごとき所業で「悪魔」と恐れられたわけではない。事件のあった当日も、赤ん坊のためにミルクを作ろうとしていた、善良な父親なのだ。
事件は当日の早朝起こった。その日、家族のうち11名が揃ってテレビを見ていた。そんななか、赤ん坊がお腹を減らして泣き出してしまう。その声を聞いた男性は、ミルクを作るために全裸で部屋を移動していた。その様子を見た妻は突然「そこにいるのは悪魔よ!」と叫んだ。部屋の中はパニックとなり、妻の姉妹は男性をナイフで刺し、玄関から男性を追い出した。男性が戻ろうとすると、家族はさらに恐慌状態に陥り、イエスの名を呼びながら次々と、窓の外に飛び出していった。男性も彼らを追うようにして、窓から飛び降りている。生後4カ月の赤ん坊が死亡し、2歳の幼児が重症を負った。
どうして妻は夫を悪魔と呼んだのか、そしてどうして家族が皆それを信じ、義兄をナイフで刺した上に窓から飛び出していったのか。すべてが謎に包まれている。なお、地元警察は「薬物や宗教的儀式の痕跡は見つかっていない」と発表している。
緊張状態の元で、集団が一斉に非理性的な行動を起こすことを「集団ヒステリー」というが、今回の事件は正にこれに当てはまる。早朝、テレビに集中していたときに、突然全裸で現れた夫を悪魔と見間違えてしまった……。実際に神や悪魔が存在すると信じる、信仰心が起こした悲劇かも知れない。
このように、強すぎる信仰心はときにとんでもない事件を起こしうる。
2005年ルーマニアでは修道士が「悪魔祓い」によって、当時23歳の修道女を殺害する事件が起こっている。修道士と共犯である4人の修道女は、被害者が死亡するまでの数日間、十字架に縛り付け一切の飲食物を与えなかった。07年、主犯である修道士に懲役14年の判決が下されたが、彼らは誰一人として罪を認めておらず、控訴している。被害者は統合失調症を患っており、それを「悪魔憑き」と信じていたという。
ところで、宗教や信仰心に起因する事件というと海外を思い浮かべがちだが、日本でも「悪魔祓い」の末に殺人となったケースはある。
87年、神奈川県藤沢市で男性が殺害され、バラバラに解体されてしまうという事件が起こった。被害者の男性はミュージシャンで、当時横須賀で人気だったロックバンドのリーダーを務めていた。犯人は男性の妻と、男性の従兄弟だった。彼ら3人はとある宗教団体の信者であったが、のちに脱退している。その後、被害者の従兄弟はみずからに神が宿ったと信じ、男性に「救世の曲」を作るよう依頼する。殺害の理由は、曲の作成中に悪魔が宿ってしまったからだという。警察はアパートの一室で遺体を解体していた男女に遭遇し、その場で逮捕している。発見された時、被害者の男性は全身の肉をそぎ落とされ、ほぼ骨だけの状態だった。なお、従兄弟には懲役14年、妻には13年の判決が言い渡されている。
95年には、福島県須賀川で祈祷師の女が殺人、暴行事件を起こしている。「狐憑き」とされた信者に対して、自身の娘や男性信者と共に暴行を行い6名を殺害、1名に重症を負わせている。被害者の中には暴行に加わった信者の妻や、信者男性とその妻子(子どもは当時19歳の少女だった)も含まれており、事件の異常性を物語っている。
信仰心を持つことは決して悪ではない。他人への優しさや、自らの向上心に繋がることもあるだろう。しかし、そこにほんの少しの狂気が混じってしまうとき、そのエネルギーは凶悪な事件も起こしうるのだ。信仰心が薄いとされる現代日本人も、ときには信仰について、考えてみてもいいのでは?
『狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか』著:チャールズ・マッケイ
集団妄想と群衆の狂気!