性について大きく誤解されているもののひとつが、日本における「処女」に関するとらえ方である。
現在、世間では「日本では昔から処女は特別扱いされていた」とか「純潔は神聖なものだった」などと考えている人が少なくないのではなかろうか。
しかし、そうした考えが登場したのは、早くとも明治維新以降、具体的にはキリスト教が普及して以降のことである。そもそも「純潔」という語は元来、私利私欲や邪念がないことを意味し、処女などについて意味する言葉ではなかった。ちなみに、「処女の純潔」という言葉が登場するのは、1892(明治25)年に詩人で評論家の北村透谷によって書かれた『処女の純潔を論ず』とも言われている。
しかも、処女に「純潔」とか「神聖」というイメージを持っていたのは、都心部のごく一部の知識階級や上流社会だけのことであり、大多数の日本人は、有史以前から昭和20年代に至るまで、「処女」というものに特別の価値など感じてはいなかったのである。日本における男女関係や婚姻については、瀬川清子、大間知篤三、赤松啓介、宮田登といった研究者たちによって数々の調査研究が残されている。しかし、いかなる文献や資料をどんなに調べてみても、日本において歴史的に「処女」に何らかの価値や、意味合いを示すようなものはまったく見当たらない。
つまり、処女というものは、単に「セックス経験がない女性」というに過ぎず、あるいは「性的な経験において未熟」というものでしかない。日本には伝統的に、処女についての精神論的なものは存在していないといえよう。
また、初体験時の出血についても同様である。日本では古来、月経や出産についてはその出血を「忌み」や「穢れ」とする考えはあったが、処女が初体験の時にみられる出血について特に何かの意味を持つものは確認できない。それら女性の出血に関しては、瀬川清子『血の忌』(昭和24年)などに詳しい。
そもそも、知識と経験豊かであれば、処女だからといって出血するとは限らないことは瞬時に理解できることであり、かつての庶民の間ではその程度のことは常識的なことであったことは容易に想像できる。
そして、月経を迎えた女性は、セックスを経験することがほんの60年ほど前までの日本では、いわば常識であったことも数々の研究資料によって明らかである。そして、月経以後も性的経験がない場合、一人前の女性と認められないという感覚も、日本各地で確認されている。
ただし、これは極めて論理的な発想である。かつての日本では、セックスというのは婚姻生活の中で大切な要因であり、さらに庶民の娯楽として重要な位置にあった。したがって、性に関する実地での経験と正しい知識は、人間としてまた社会人として、習得すべき項目のひとつだったわけである。
ところが、戦後の急激な変動の中で、そうした考えは急速に失われ、あたかも「処女の純潔は美徳」という考えが日本の伝統のように思われるようになってしまった。しかし、これははなはだしい誤解、いや錯覚そのものであることは歴史が証明している。
かつての日本の大部分を占めていた農山漁村では、若年層に性の経験と知識を伝授するプログラムが存在した。それについては、また改めてご報告申し上げたい。
(橋本玉泉)
ドキュメントって素晴らしい!!