(製作:日活/監督:加藤文彦/公開:1984年)
「にっかつロマンポルノ」は女優以外にも数々の著名人を世に知らしめており、”SMの巨匠”団鬼六(だん おにろく)も欠かせない重要人物のひとりだ。
官能小説の第一人者だった団鬼六が、初めてロマンポルノに関わったのは1974年。自身の代表作である『花と蛇』を日活が映画化したことによる。
(製作:日活/監督:小沼勝/公開:1974年)。
04年に杉本彩主演でリメイクされ話題に
しかし当時、SMは極めてマイナーなジャンルであり、日活内部でも知る人は少なかったという。ではなぜ、日活はSMの製作に踏み切ったのか? それは「谷ナオミを主演に起用する」という提案に端を発したものだった。
71年に始まったロマンポルノの評判は上々で、「団地妻」シリーズを中心に白川和子や宮下順子といったポルノスターが続々と誕生していた。そんななか、日活は次なる看板女優として谷ナオミに目を付けた。
当時、谷ナオミは独立プロ系のSM映画に数多く出演していて、すでにピンク映画界ではトップ女優だった。その彼女がオファーを受けた際、親交の深かった団鬼六と相談して「『花と蛇』ならば出演してもいい」との条件を提示したのだという。
妻役を熱演した『団鬼六 縄炎夫人』
(製作:日活/監督:藤井克彦/公開:1980年)
こうして、ロマンポルノ初となる本格SM作品『花と蛇』が製作されることになった。不遇のヒロイン・静子を演じた谷ナオミは、緊縛・宙づり・汚物などの執拗な責めに対し、次第に恍惚の表情を浮かべる心境の変化を好演。さらに鬼才・小沼勝監督によって、一般人に受け入れがたいSMというジャンルが、官能美として表現されたことで同作品は大ヒットを記録した。
この作品で”SMの女王”の称号を与えられた谷ナオミは、その後も団鬼六原作の作品に出演し、ロマンポルノに「団鬼六(SM)」シリーズという新ジャンルを打ち立てたのだ。
そして、谷がポルノ界から引退した79年には麻吹淳子がポルノデビュー。完熟ボディーに食い込む荒縄が陵辱のリアル感を演出して”2代目SMの女王”となった。以後、3代目は高倉美貴、4代目は真咲乱が襲名し、団鬼六シリーズはロマンポルノ終焉の88年まで人気ジャンルとして君臨し続けた。
(製作:日活/監督:藤井克彦/公開:1983年)。
プレイに耐えられなくなると、
露骨に不快感を示す高倉美貴の表情が逆に人気に
なお、「SMの女王」と聞くと「女王様」を連想するかもしれないが、彼女たちの役柄はもっぱらMだった。団鬼六にとってのSMとは”羞恥心”の美学であり、あくまで罰を受ける女性の表現にこだわったのだ。
エロティシズムは死に至るまでの生の称揚
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第1回 「団地妻」から始まったロマンポルノの歴史