その日本語版『キンゼイ報告』(1950-1954)
人間の性生活に関する研究家として、M.ヒルシュフェルトやハーヴェロック・エリスなどとともにその名を知られているのが、アメリカの性科学者アルフレッド・キンゼイ(1894~1956)と、彼と調査グループによってまとめられた、いわゆる『キンゼイレポート』である。
この『キンゼイレポート』は大学教授が行ったセックスに関する大規模な調査ということでかなり以前からその名を知られている。また、少し前にはキンゼイ自身を主人公にしたハリウッド映画も公開された。しかし、実際のレポートの内容まではよく知られていない。
また、本国アメリカでも、好奇の目で見られることが多かったようである。ハリウッドのミュージカル映画『踊る大紐育』(監督:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン)では、水兵のひとりがタクシー運転士の女性に「俺はジャーナリスト」などと言うと、「まあ、『キンゼイレポート』?」などとからかわれる場面が登場する。
ウォーデル・ポメロイとクライド・マーティン
さて、実際の『キンゼイレポート』は、正しくは『人間における男性の性行動』で、発行されたのは1948年。続いて1953年には「女性版」である『人間における女性の性行動』が刊行された。その内容は、当時インディアナ大学の教授であったキンゼイと研究チームが、アメリカに住む男女約1万8500名に対してセックスについての面接調査を実施。その結果を膨大なレポートにまとめたもの。
その内容は多岐にわたり、思春期における性的興奮にはじまり、年齢別のセックスの傾向、夫婦生活における性生活の実態、社会的な階層や職業別の性生活など、あらゆる角度からライフスタイルとしての性生活に関するデータがまとめられている。たとえば、「30歳未満の夫婦ではセックスの平均回数は週に2.2回」「成人男性の3割以上は同性に性的な感覚を持った経験あり」「既婚男性の半数はパートナー以外との恋愛経験あり」「さまざまな職業の中で、専門性の高い職業の者ほど頻繁にマスターベーションをする」といった報告がみられるなど、今日読んでも興味深い記述がいくつも見出される。
ただし、『キンゼイレポート』は発表された当時から批判や非難が起こった。当初、批判の多くは良識派や保守派からのもので、同性愛などの異質なセックスや獣姦などの「変態的」性行為が盛り込まれていることに倫理的な反発が目立った。その一方で、調査対象が必ずしもランダムに抽出されたものではなく、ある作為的な意図がみられるとか、自分の性生活について積極的に告白するものは多くはないという指摘など、調査の手法に対する批判や意見も少なくなかった。
また、調査を指揮したキンゼイ教授自身に、バイ・セクシャルやマゾヒズムの傾向があるなどの事実が判明し、このことからレポートの内容の正当性を疑問視する意見も多くなっていった。
このように、何かと問題の多い『キンゼイレポート』であるが、人間の性生活というライフスタイルの基本でありながらも、なかなか実態の見えないものについて、憶測や思い込みではなく、現実の実態調査という科学的な手法によって把握しようとした意義は、今日においても十分に価値のあるものと理解してよいのではなかろうか。
(文=橋本玉泉)
最後にたどりついた”ひとつの真実”とは?