性犯罪のなかでも卑劣極まりないもののひとつが、レイプすなわち強姦である。日本の江戸時代においてもレイプが犯罪であったことに変わりはない。
だが、当時はレイプに対する処罰は現在に比べれば非常に軽かった。現在では強姦は2年以上の懲役である(刑法177条)。これに対して江戸時代は、人妻をレイプした場合には最高刑が死罪であるが、未婚女性の場合には追放である。立場や家族構成にもよるだろうが、単に「この土地から出て行け」というだけである。遠島のような指定された地域での終身刑ではない。考えようによっては、とても軽い罰である。
なぜレイプが微罪だったかはいろいろな考え方ができ、男尊女卑の世界観も大きく影響していることは間違いないだろうが、やはり当時のセックス観によるものが大きいだろう。江戸時代にはセックスは極めて自然な行為であり、セックスすることによって「純潔が汚れた」とか「傷ものになった」などという感覚はまったくなかった。そのため、ケガをさせたりしたのであれば別だが、女性の合意を得なかったとしても、セックス程度は「さほど騒ぐほどでもなかろう」という意識だったのではあるまいか。人妻に対するレイプが重罪だったのは、セックスの強要というより不義密通を重くみるという当時の考え方によるものであることは明らかだ。
そして、当時はレイプの犯行はかなり多かったことが数々の資料から推測できるものの、実際に処罰されたケースというのはごくわずかだったらしい。それは、罪の軽さというよりも、当時の取り調べに問題があったと考えられる。
江戸時代、レイプの被害を訴えると、本人はもちろん、親や名主、五人組などの地域住民、さらに大家などまでが奉行所に呼ばれて事実確認をすることになる。当時は被害者のプライバシー保護という感覚はなかったようであるから、現在でいうセカンドレイプ状態が全開である。そこまでするくらいならと、泣き寝入りしたケースが非常に多かったのだろう。まさに、「犬にかまれたと思ってあきらめて」という光景が、いたるところでみられたと推測される。