歓楽街のところどころにはイヤ~な磁場が集中するかのように、小汚い人々が集まるスポットが点在する。豊島区役所前の中池袋公園や渋谷の円山坂、西成の三角公園、横浜の西口付近…。ちょっと考えただけでも次々と思い浮かぶ。
どれだけ排除排除で綺麗にしても地の底から滲み出す悪気が消えないのだ。
あくまでも個人的な感覚だが、歌舞伎町で小汚いスポットといえば、大久保病院から高い金網で囲まれた児童公園周辺、さらにラブホ街をふくむハイジア・ビル一帯にかけての薄暗い路地裏である。空気はいつも澱んでいる。
実際、この辺りを歩いてみると、売人だか買春だかポリだか分からない正体不明のおっさんどもと、常にケータイから目を離さずに見知らぬ誰かとコミュニケーションをとっているらしき汚ギャルに出くわす。
「あ~、それ『神待ち』っていうんですよ。あの辺、昔からプチ家出女のメッカでしょ。つまり『神』とは一晩泊めてくれて小遣いくれる男のこと。要するにウリの待ち合わせですよね」
と、事情通は語る。神…なんたる響きであろうか。そこで筆者はさっそく彼女たちから「神」とあがめられるべく知人とともに歌舞伎町へと出向いた。
だが…いない。家出少女も汚ギャルも娼婦もどこにもいない。
この一角を最後に歩いたのは、約半年前。早く終わった忘年会の帰りで、午後10時前後だったと記憶している。そこには、見るも無惨な絶望的光景が広がっていた。つまり、売春女たちの、吹きだまり状態だったのだ。
「おっかしいなぁ。この辺にギャルも少女もうじゃうじゃいたんですよ。みんなしゃがみ込んで、俺らのことちらちらと見上げては、物欲しそうな視線送って…」
「でも、ほら、何人かそれらしき女はいますよ。ちょっと声かけてみましょう」
「ねえねえ、お姉さ~ん、時間あったらメシでもどう…?」
すると、こともあろうに、貧乏臭いオネーちゃんが「い、いえ…いいです」と我々の誘いを拒絶してきた。糞ったれ、アンタ何サマ?ってお互い様か。
聞くところによれば、彼女たちの相場は一万円ポッキリ…+ラブホ代別。
今、「ポッキリ」という言葉を使ってみて感じたのだが、まさに昭和のトルコ風呂の郷愁感ただよう、6畳一間、裸電球、共同キッチン、半チク・ヤクザのヒモとして沈められたズロース姿の女性が思い浮かんでしまったが、これは東映映画を見すぎている筆者だけだろうか。
そう、現在の歌舞伎町にタムロする彼女たちは、ホスト・クラブでカネを湯水のごとく使うことはあっても、チンピラのヒモになどはならない。小利口なのである。
だからだろうか、筆者たちの「とりあえずメシでも」という誘いに関しても「メシとかメンド臭いから即決で誘ってくんないかなぁ?」と内心では思っているのだ。あるいは、LINEで「成約済み」なのだろうか。
それならば、とーー。
「ねえ、時間ある? おカネ払うからさ」
「…はあ?」
スマホでLINEらしきアプリを操作しながら女が怪訝な顔をする。また失敗か。トートツすぎたかもしれない。
「職安通りわたって、もう少し大久保方面にいってみましょうか」
知人が言う。私はうなずいた。
新大久保一帯は、まさに「昭和」だった。まるで進駐軍に占領されていた戦後のヤミ市時代のごとく、パンスケが至るところで手招きしている。
「オニーさん、かっこイイね。遊ばな~い?」
「かわいいじゃん。もう少し歩いてから後で来るよ」
「ホントだよ~」
この奔放さ。ハイジア近辺の閉塞感に比べ、彼女たちは開放感にあふれている。その格差に愕然とするばかりだった。
韓国人、中国人、タイ、フィリピンに東南アジア各国…現状、ここまで多国籍にわたる売春婦が出没しているのに、彼女らが「ニッポン・サラリーマン慰安婦」として国際問題化しないのが不思議なところだ。
「このあたりの女もやっぱりポッキリなんですかね」
「じゃ、そろそろ品定めして交渉してみますか」
ちょうどジュリアナ時代のボディコンのような格好をしたパンスケが出現。暗がりの中、遠目には日本人のようだが、近づいてみると白人系のアジア人と見えた。
「どう、遊ばね?」
「いいよ~。いくらだっけ?」
彼女は人差し指一本を突き立てる。筆者が一万円を渡すと、それをひらひらと揺らし、「あとホテル代3千円ね」
商談は成約。
聞いたところ、彼女はタイと欧米のハーフ。30代後半だが、ボディラインはかろうじてスリム体型を保っていた。腕を組んでスリムな外人美女疑似カップル気分を味わいながら歩く新大久保のホテル街、筆者はほろ酔い加減、月は半月、明日は土曜。
なんとなく開放感に浸りながら、歌舞伎町に魅力がなくなったのか、日本人が魅力を失ったのか…そんなことどうでもいっか、と考えさせられる夜だった。
(文=ヒロチカ)