どんな物事にも最終目標がある。「結果も大事だが、そこへ至るまでの過程のほうがもっと大事」という考え方もあるが、なんだかんだで世の中は結果至上主義だ。それは子どもの頃から身を持って経験させられている。寝る時間を惜しんで受験勉強に勤しんだとしても合格できなければ本人は納得できないだろう。「頑張って勉強した思い出があるから(合格できなかったけど)良しとしよう」とは思わないはずだ。受験勉強の最終目標は「合格」なのだから。登山にも同じことが言える。9合目まで登って(天候の急変や体調不良を除き)下山する人など聞いたことがない。登山するからには、頂上まで登り詰めてなんぼ、と皆が思うだろう。登山の最終目標は「頂上」なのだから。
では、セックスの最終目標は何だろうか? もちろん言うまでもなく射精なのだが、ほとんどの男性は射精以外にもう1つ目標を掲げているものだ。相手のオーガズム……つまり、女性をイカせるという目標である。そういえば受験勉強や登山でも、親しい友人と「同じ大学に行こう」「一緒に頂上からの景色を見よう」ということがあるが、少し似ているかもしれない。
しかし、受験勉強や登山と違って、セックスの場合は「相手の結果が不明瞭」であるためややこしい。イッたのかイッていないのかわからないのである。女性のオーガズムは、男性のように射精を伴わないので、その見極めは非常に困難だ。そこで、女性のオーガズムを見極めるべく、男性誌などではしょっちゅう「女性のオーガズムと演技の見分け方」が話題にあがる。中でもしょっちゅう目にするのが、「足の指」だ。ご存知ない方のために説明させていただくと、女性が演技ではなく真のオーガズムに達した時は、足の指が開くというのだ。この説について、女性陣に意見を求めたところ、「真のオーガズムに達した時は、自分の足指がどうなっているか気が回せない」とのことでわからないという。むしろ、「男性が足指を気にしているのなら、今後はイク演技をする時に足指を開く」と開き直る者も。
次に多く見かけるのが、以前にもご紹介したバルーン現象(※)。女性が最高潮に感じると、膣の奥が風船の如く広がり、精液を溜め込もうとするのだ。こちらは、足指と違って演技することは不可能だろう。これまた女性陣に尋ねたところ、「確かに自分自身ではわからない」という人がほとんどだったが、中には相手男性から「『奥が広がってきているよ』と言われたことがある」という女性もいた。その時のセックスではオーガズムに達したのかという点に関しては、「確かに最高潮には感じていたが、オーガズムには達していなかった」と証言する。バルーン現象でも、女性のオーガズムを見極めることは難しいようだ。(※『マン屁(膣ナラ)とロストペニス(バルーン現象)は別物』)
一般男性からのクチコミで意外に多かったのが「腹筋を見れば一目瞭然」という意見。真のオーガズムを得ている場合は、ヘソのすぐ下あたりが引っ込む女性が多いという。「腹を引っ込ませることなど、演技でいくらでも可能なのでは?」という筆者の疑問に対しては、「全体的に引っ込ませることは簡単だろうが、ヘソの下ピンポイントで引っ込ませることは難しいはず」と語る。ヨガやダンスをたしなむ人なら聞いたことがあると思うが、「丹田」と呼ばれる部位のこと。後背位の場合だと全く無意味な見極め法というのが残念だ。また、ポッコリお腹の女性にも通用しないだろう。
なお、「女性からの『イッた』という自己申告があったからイッたと見なす」という見極め法は、言うまでもないことだが信憑性が低い。性行為に限らず、口で言うのは簡単なのだ。女性たちから、具体的な演技プランを募ったところ、「言葉でイクと宣言する」という声が圧倒的多数だった。
こうして挙げてみると、女性のオーガズムを見極める確実な方法は無いという結論に達する。しかし気を落とすことはない。オトコにとってはセックスの最終目的は射精であるが、女性の場合は「オーガズムに達しなくてもじゅうぶんな快感を得ている」という人が少なくないのだ。勘違いしてはならないのが、「感じている演技」と「イッた演技」は全く別ということ。感じているにもかかわらず、男性がイカせることにこだわりすぎると、女性はそのプレッシャーに耐えきれず、オーガズムに達した演技をしてしまうことがある。ということは、相手女性をイカせることに躍起にならず、セックスを楽しむのが賢明である。
(文=菊池 美佳子)