昭和31年(1956年)9月5日、東京・港区芝新橋(現・新橋)のホテルで宿泊している外国人2名が昼過ぎになっても起きてこないため、従業員が様子を見に行くと、室内で2名が倒れているのを発見。一人はすでに死亡していたが、もう一人はなんとか一命は取りとめた模様。宿帳の記載から、2人はいずれも仙台に駐留している米軍所属の、同い年の20歳の米兵とわかった。
室内に争った形跡などがないことから、警察は自殺と断定。さらに調べを進めると、命を取り留めた兵士は、最近になってアメリカ本国に残してきた婚約者が別の男性と結婚したとの知らせを受け、かなり悩んでいたという。そして、死亡した兵士は親しい友人だったと新聞記事は伝えている。
だが、この記事はいろいろな点で疑問が少なくない。
まず、婚約者に逃げられたことを苦にしてということは理解できるにしても、それで一緒に自殺するほど米兵は情に厚いのだろうか。いかに悩んでいたからといって、
「ジーザス、置いてきた彼女がほかの男に走っちまったぜ」
「おう、そいつは悲しいぜ。オーケー、オレも一緒に死んでやるよ」
などという感じになるのものなのであろうか。
それに、事件からたった1日で、日本の警察が自殺した米兵のプライベートを、そこまで詳しくつかむ事ができたということもややしっくりとしない。通常、在日米軍は日本の捜査関係者には非協力的であり、必要な情報ですら提供しないケースが少なくない。にもかかわらず、この事件では婚約者に関する情報といった、兵士本人のプライベートなものまで警察が手にしている。そもそも、日本の警察がこれほど短期間のうちに、米兵の個人的な情報を独自の捜査によって入手できるかどうかはなはだ疑問だ。
これは憶測なのだが、米軍当局から「自殺の原因はこれこれ」といった情報がもたらされ、それをそのまま警察が発表した可能性は否定できない。もしこれが、文字通りの「男同士の心中」であったなら、在日米軍としてもあまり快いものではなかろう。
ちなみに、男性同士の恋愛関係による心中事件は、ほとんど報道されることがないものの、昔からかなりあるらしい。たとえば、明治45年7月に京都の遊郭・七条新地で日本軍の兵士2名が心中した事件などが起きている。
日本は古来より同性愛には寛容であるが、キリスト教圏などでは現在でも厳しい目で見られることが多いようであるから、もしかしたらこうした事件は意外に少なくないのかもしれない。
(文=橋本玉泉)