美容整形中毒に陥ったあの実力派歌手に「心配」の声

hirotasan1019.jpg※イメージ画像:左『弘田三枝子・しんぐるこれくしょん』コロムビアミュージックエンタテインメント、
『MICO IS BACK』ミュージック・シーン

 益若つばさや押切もえ、釈由美子、AKB48板野友美など、芸能界デビュー当時と比べて見違えるように美しくなったタレントたちには、美容整形のウワサがつきまとう。芸能人になったことで垢抜けたのだとか、化粧技術でキレイに見えるのだとか、整形疑惑を否定する意見もあるが、カワイイだけのタレントなら腐るほどいる芸能界では、プチ整形程度の行為はそれほど珍しいことではないという。実際に整形をカミングアウトしたタレントも少ないながら存在する。しかし、整形を繰り返しすぎて、もはや顔面について触れるのがタブーと化してしまった歌手もいる。昭和の実力派歌手・弘田三枝子(65)だ。

 弘田は1961年、14歳で歌手デビュー。洋ポップスのカバーを見事に歌い上げ、子どもながら高い歌唱力が評価され、瞬く間に芸能界の人気者となった。しかし彼女は69年、22歳の時にメタモルフォーゼ級の変貌を遂げた。純和風の顔立ちで、ぽっちゃり体型と丸顔が可愛らしかった少女は、高い鼻とくっきりした二重の目元を持つフランス人形のように激変したのだ。同時にダイエットも行い、見違えるように痩せて美しくなった弘田。その容貌で歌ったシングル「人形の家」は大ヒットし、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。徳永英明も今年5月発売のカバーアルバムで同曲をカバーしている。翌年には当時まだ珍しかったダイエット本を出版し、ベストセラーに。ベストドレッサー賞も受賞するなど、まさにファッションリーダーのような存在として時代に君臨していた。

 しかし、和風顔から彫りの深い外国人のようになった顔立ちを維持することは難しかったのだろうか。それとも、老化に抗う気持ちや「もっとキレイになりたい」という渇望が抑えられなかったのであろうか。その後、弘田はさらなる激変を重ねていく。77年に不倫関係のもつれから、相手男性の妻に刺されるという事件が起こり、しばらく影を潜めることになった弘田。渡米して結婚、出産、離婚を経験し、90年代に日本のテレビに復帰した頃には、丸みを帯びて美しいカーブを描いていた鼻が、直線的かつ不自然に高すぎる形に様変わり。鼻先はキツく尖り、鼻の穴も縦長でますます欧米人のようになっていた。それでも実力派歌手としての美声と声量は維持していたが、ここ数年はそれすらも危ういとかつてのファンが心配する事態に陥っている。

 10月18日に放送された『木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~』(テレビ東京系)に出演した弘田の顔は、皮膚がたるまないよう上に引っ張る施術をやりすぎたのか、頬も唇もまるで立体感がなく平面的な能面状態に。皮膚の質感自体も、年相応のシミやシワ、毛穴がなく、ビニール素材のようであった。さらに年齢のせいもあるだろうが、歌声もかつてのパワフルな魅力が失われていた。全盛期の彼女を知っているファンたちは、デビュー当時と比べて別人のように変わり果てた彼女の姿に心を痛め、「整形依存症になってしまっているのでは」と心配の声も上がっている。

「同時代に活躍した年上の女性歌手らに、美人でないことや太っていることをからかわれて、整形に手を出したと業界内では言われていました。でも元々の彼女の顔も、愛らしくて魅力的だったのに……。当時も今も彫りの深い顔立ちに憧れる女性は多いですが、若いうちにまぶたの脂肪を削ってしまうと、年を取ってから一気に老けます。それが嫌でまた整形を繰り返す、という蟻地獄に陥らないためにも、どこかであきらめることが必要だと思います。何度も繰り返していくことで一時的に容姿が綺麗になったように思えても、実際は体にダメージが蓄積されていますから。若いうちはまだいいですが、今現在、整形疑惑のある芸能人たちの20年後、30年後を思うと心配ですよね」(女性誌記者)

 バブル時代に日本でも大流行したイギリスのロックバンド「デッド・オア・アライブ」のヴォーカル・ピートバーンズに至っては、美容整形のしすぎで皮膚下に悪性の肉芽腫ができ、腎不全や腸障害を引き起こして死の危機に直面したことがあると、最近になってテレビ番組で明かしている。彼は最終的に崩壊した顔面を再生させる手術を受けることにしたが、顔中にしこりができており、顔の皮膚をめくってそれらを摘出する手術を100回以上も受けてようやく治療できたという。数十年後、日本の芸能界でもピートのような恐ろしい事態に陥るタレントが出てこないとも限らない。

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