男性が3度のメシと同じくらい大好きな「オナニー」。一般的には手で行うものだが、工夫や道具次第でさまざまな快感を体験できる。現代でも、手では物足りなくなった男性は、TENGA、セブンティーンなどに代表されるオナホールを愛用したり、”カップラーメンオナニー”や”コンニャクオナニー”など一風変わったやり方を試す、など個人によってその方法は多種多様だ。
これら一風変わったオナニー法は現代のものと思われがちだが、実は江戸時代からその存在が確認されているそうだ。その当時、オナホールは『吾妻形』(あづまがた)や『百茎摺』(もっこすり)と呼ばれていた。これらは薄いべっ甲を向かい合わせに貼付け女性器を模したものや、刀の柄袋をひっくり返したもので、これらの内側にビロードを貼り、使用していたという。
ビロードとは、ポルトガル語のveludoに由来するパイル織物の一種だ。日本には、ポルトガルから鉄砲を包む袋として輸入されたのが最初だと言われている。織田信長や上杉謙信は、この珍しい織物に魅了され、マントとしても愛用していたと伝わっている。まさか、信長も自身のマントの素材が、将来オナホールに使われるとは思わなかっただろう。
『吾妻形』を使用する際は、手で上下動させるのではなく、枕や布団にはさみ、腰を打ちつけていたという。ただし、精液がビロード部に付着するとこびりついて落ちづらいため、射精の際は注意が必要とされていたようだ。
評判を呼んでいたという『吾妻形』だが、内部に使用している生地が、南蛮渡来であることからか、とても高価なものだったそうだ。そこで『吾妻形』に手が届かない庶民は、代用品として『間合吾妻形』を使用していたという。その材料は、”コンニャク”だったと江戸時代の書物『閨中紀聞 枕文庫』が記している。使用法は、お湯で温めたコンニャクを人肌に冷まし、挿入するといったシンプルなもの。また本書では、使い心地は25歳くらいの女性の膣内と変わらないと、絶賛している。男性ならば、一度は聞いたことがある”コンニャクオナニー”は、江戸時代からの伝統的なオナニー法であったのだ。
またコンニャク以外では、真桑瓜が『ぼぼ形』というオナホールになったと江戸後期に書かれた『全盛七婦玖腎』で紹介されている。こちらは熟した真桑瓜を小口に切り、種を出し、使用したそうだ。真桑瓜の内部がまるで、ヒダのように感じられると書かれている。ちなみに『間合吾妻形』と『ぼぼ形』は手で持っての使用が推奨されている。
日本人は江戸時代からアダルトショップを利用し、日々オナニー研鑽を怠らなかったと言われる。HENTAI大国として名高い日本人の感性は、このころから培われていたのかもしれない。
(文=南はにわ)