メンズサイゾー歴史探訪

「ずいずいずっころばし」はレイプの歌ではない

 <ずいずいずっころばし ごまみそずい>で始まる童謡「ずいずいずっころばし」が、レイプや不純な異性間の交際を表現していると噂されたのは、1990年初頭の頃からではなかっただろうか。学研発行のティーン向け雑誌「LEMON」にも、「ずいずいずっころばしはレイプの歌」という投稿がある。

 この噂の根拠としては、歌詞の最後のほうにある、「井戸のまわりでお茶碗かいたのだあれ」であると推測できる。

 実は、女性の破瓜、すなわち処女がセックスを初体験することを生活機器の欠損として表現することは、民俗学的な資料に実例として見られる。そのひとつが、「十三サラワリ」などである。

 十三サラワリとは、女性が13歳になって結婚が可能となったことを示す、昔の日本における慣習を示した言葉だが、その由来は13歳になった女性が、地域のルールに従ってセックスの手ほどきを受けることである。すなわち、「十三=13歳」であり、「サラワリ=皿割=破瓜」のこととなる。これを「ずいずいずっころばし」に当てはめると、「井戸のまわりでお茶碗かいた」とは、井戸の近くで、お茶碗かいた(茶碗が欠損した)、すなわちセックス行為に及んだということになる。

 では、やはりレイプや不純異性交遊について表現したものではないのかというと、そんな意味はまったくない。

 まず、太平洋戦争以前の日本各地の農山漁村では、セックスは地域社会によって管理され、地域ごとに決められたルールに基づいて行われていた。その手の研究としては、民俗学者である、瀬川清子氏や大間知篤三氏らの研究に詳しい。

 それらによれば、かつての日本の地域社会では、セックスの経験がない女性つまり処女に対しては、村の中で決められた男性が、セックスについて実技で指導するという慣習が数多くあったという。それがもともとの「十三サラワリ」の実態なのだ。

 その仕事を担当する男性は、地域によって異なるものの、概ね40代以上の妻帯者で、性格や人格に優れた者として、村の中で特に選ばれた者でないと、その資格がないと聞いた。

 すなわち、「井戸のまわりでお茶碗かいた」とは、いわば地域における指導教育であり、通過儀礼のひとつだと考えられる。
 
 とにかく、性行為を連想させるものに触れると、レイプや不純な行為を連想するという傾向に、現代日本の性意識のゆがみを見せ付けられるような気がする。かつての日本では、セックスをもっと肯定的に考え、青少年に対して積極的に、かつ実践的に指導した。その代表が「夜這い」であり、また以前、本コーナーでもご紹介した「童貞開き」なども、ひとつの例である。
(文=橋本玉泉)

「アッカンベー橋」渡り廊下走り隊

 
歌詞に隠された意味が……

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