いまでこそ「朝日新聞」や「読売新聞」、「毎日新聞」といった大新聞は硬い紙面づくりであるが、創刊当初の明治期や大正初期は、娯楽性あふれる記事や広告が満載だった。今で言うスポーツ紙や夕刊紙にも引けを取らない、何でもありの紙面構成だったのである。ゴシップ記事なども実に多い。
「東京朝日新聞」明治45年7月11日号に掲載されていた記事によれば、事件は10日の朝7時頃に京都の遊郭・七条新地で起こった。前日から泊まっていた男性客の部屋に、連れの男性がやってきた。遊郭に男が連れ立って遊びに来るのは珍しいことではない。娼妓も別に不審にも思わず、少しの間席を外した。
ところが、戻ってみると、部屋にはその男性2人が血まみれで倒れている。部屋には血のついた短刀も転がっていた。状況からみて、一人がもう一人を殺した後で自殺したと思われた。
すぐさま七条警察署から署員が駆けつけた。そして遺体を運んで検死したところ、一人は右肩から喉にかけて切り裂かれ、ほとんど即死状態。もう一人は喉を突くように切り傷があり、自殺したものと考えられた。
捜査の結果、2人は舞鶴所属の駆逐艦「朝霧」に搭乗していた、20歳と22歳の機関兵であることが判明した。しかも、2人は軍を脱走した逃亡兵で、七条新地に上がる時には偽名を使っていた。
この2人が、心身ともに「結ばれた」関係で、覚悟の上で心中したのか。それとも別の理由から軍を脱走し、逃げ場を失い絶望して自殺したのか。それとも、単にケンカか何かのトラブルで相手を殺して自殺したのか。すべては謎のままである。
(文=橋本玉泉)
図解ものは男心をくすぐる