かつての日本の地域社会では、セックスが実生活の一部を構成する要素として認められ、肯定的にとらえられていたことは、第一法規発行の「日本の民俗」シリーズや、瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』や大間知篤三『婚姻の民俗』などといった、数々の研究書や資料から明らかである。
実生活の一部である以上、理屈だけでは役に立たない。当然ながら「実技」も必要となるが、その点についてもそのシステムが用意されていた。もちろん、男女ともにそれぞれに対してである。
そのなかで、男性に対するもの、すなわち童貞あるいはそれに近い青少年に対するセックスの実技指導も決して珍しいものではない。たとえば、江戸期に見られる介添女(介添女房)などはその一例である。
『犯罪科学』昭和5年10月号に高倉薫という人物による、「童貞開きの伝習奇習」と題する文章が掲載されている。その内容は瀬戸内海にあるある島の慣習を事例として紹介しているもので、10代の男女に対する「実技による性的な指導訓練」で、とくに童貞男性に対するものを取り上げている。
同文章によれば、島の男性が15歳から16歳くらい、身体的にほぼ成人と同様となったと判断されると、あらかじめ決められた島内の女性、年齢にして30代から40代の婦人がセックスの手ほどきをするというわけである。その実技は「童貞開き」と呼ばれており、ごく当たり前のこととして古くから行われていたということである。その主導権は女性側にあり、少年はあくまで受身として女性からのアプローチによって指導をうけるとされている。
その島の慣習では、童貞開きは一夜限りのことで、その指導役の女性とは再び床を交えることはないという。そして、セックスを経験した少年は、以後は一人前の大人として認められ、社会的な権利を与えられるという。
著者の高倉氏は、「離れ島だけあって、島特有の種々様々な奇習珍慣がある」などと称して、あたかもこの童貞開きもそのひとつであるかのように紹介している。しかし、こうした童貞に対する指導教育は、夜這いに際して初心者には年長者が付き添うなど、戦前まで全国各地に見られたものであると、数々の資料に記されている。
しかし、こうした庶民の間に受け継がれていた実践的性教育も、戦後から高度成長経済期を経て、急激に消滅していったのである。
(取材・文/橋本玉泉)
『ニッポンのしきたり―Customs of Japan』IBCパブリッシング
いろんな”しきたり”にもルーツあり!