『恋人たちは濡れた』(製作:日活/監督:神代辰巳/公開1973年)
1971年から88年までの17年に渡り上映されたにっかつロマンポルノ。
この成人映画が今日のアダルト作品に与えた影響もさることながら、当時における社会の反響も非常に大きかった。
まず、ロマンポルノ誕生から3年目を迎えた73年のこと。この年は傑作が次々と誕生した黄金期であり、ポルノ映画という枠組みを越えて評価されている。
超ハード作品『いんこう』(製作:日活/
監督:小沼勝/公開:1986年)
戦前から続く映画雑誌『映画芸術』の恒例企画「邦画ベスト10(1973年版)」では、実に10作中6作をロマンポルノが占めることとなり、なかでも70年代の若者像を的確に描いた『恋人たちは濡れた』は2位にランクインしている。ちなみに1位は巨匠・深作欣二監督の『仁義なき戦い』(東映)であり、それに続く快挙だった。
ロマンポルノの評価の高さは、映画作品としての質の高さを証明していると言っていいだろう。当時の日活には、女性の裸と性描写さえ登場すればストーリーや演出は自由という風潮があり、これが監督たちの創作意欲を存分に刺激したのだ。
このため、しばしば社会問題に切り込む作品も生まれ、警察の不祥事を題材とした『濡れた荒野を走れ』(73年)や、当時話題となっていた淫行条例にスポットを当てた『いんこう』(86年)などは、良くも悪くも人々の注目を集めた名作である。
ただし、ロマンポルノの名が世間を騒がせるとき、その大半がネガティブな場面だったことは否めない。
その最たる例が「日活ロマンポルノ裁判」と呼ばれた訴訟事件だ。
(製作:日活/監督:近藤幸彦/公開:1972年)
同事件は、72年に公開された『愛のぬくもり』、『恋の狩人 ラブ・ハンター』、『OL日記 牝猫の匂い』、『女高生芸者』の4作品(『女高生芸者』のみ併映のピンク映画)が警察庁に摘発され、監督ら6名が「わいせつ図画公然陳列罪」で起訴された騒動である。
一連の裁判でヒロインに躍り出たのは、『愛のぬくもり』と『恋の狩人〜』に主演した田中真理だった。彼女は『恋の狩人〜』の山口清一郎監督とともに裁判闘争に参加し、法廷でポルノ擁護論を展開し続けたのだ。
結果、78年に東京地裁から下された判決は全員無罪の完全勝訴。対して検察側が控訴したが、これも東京高裁によって棄却される運びとなった。
この「日活ロマンポルノ裁判」を契機に”エロスの女闘士”と呼ばれるようになった田中真理は、若者層をはじめ全共闘運動の学生からも偶像視され、大学祭のゲストに招かれるポルノスターとなったのだった。
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・バックナンバー
【第1回】 「団地妻」から始まったロマンポルノの歴史
【第2回】 SMクイーンと団鬼六の世界
【第3回】 濡れ場を経験した女優たち
【第4回】 現実とは異なる虚構のレイプ作品