AVライター雨宮まみの私的書評

M女の欲望を刺激する覆面小説家、サタミシュウが描く理想のSM世界とは

satamiTOP.jpg私の奴隷になりなさいご主人様と呼ばせてくださいおまえ次第はやくいって
(すべて角川グループパブリッシング)表紙は人気AV嬢・大沢佑香(現在は晶エリー)と加藤ツバキ

 サタミシュウという名の覆面作家が『スモールワールド』というタイトルのSM小説の連載を始めたとき、私はそれを見下していた。どうせ、著名作家のほんの遊びなんだろうと思っていたし、SMの描写もベタでぬるいと思った。なのに気づけば次の作品も手に取っていた。読むたびに落ち着かない気持ちになり、やっぱり苦手だ、嫌いだ、と思いこもうとした。

『スモールワールド』『リモート』がそれぞれ『私の奴隷になりなさい』『ご主人様と呼ばせてください』と改題されて文庫になり、さらにその後『お前次第』『はやくいって』と新作が発表された。私はその表紙を本屋で何度も見かけたが、見なかったことにした。読みたくなかったのだ。

 その頃には、もう気がついていた。私はサタミシュウを嫌いなんじゃない。むしろ、自分の理想のような世界が描かれているサタミシュウの作品を読むことで、心が乱されるのが怖いだけなんだと。怖いから必死で「こんなのぬるい、嫌い」とバカにしようとしていただけで、本当はこういうことを望んでいるのだということを。

 私は未読だった『お前次第』『はやくいって』を買った。この4作品は、すべて1冊だけで完結する物語としても読めるように書かれているが、登場人物はつながっており、全て読むとそれぞれの登場人物の主観が読めるという構成になっている。

 サタミシュウの小説の中では、女が奴隷になることでどれだけ躾けられ、いい女になり、本当の快感を知ることができるか、ということが書かれている。

「セックスでキレイになる」という言葉を、そのまま「SMでキレイになる」に置き換えたような世界と言ってもいいかもしれない。サタミシュウの描くSMの世界には「SMで変わりたい」「本当の快感を知ることでいい女になりたい」という女の欲望がよく描かれている。そこが女性読者を強く惹き付ける部分だと思う。

 陳腐といえば陳腐だし、だからこそ軽蔑もした。でも、私は本当はそういうことに強い憧れを持っている。M女の古典でありバイブルである『O嬢の物語』(河出書房新社)の中で一番印象に残っているのは、O嬢が外の世界に出てゆくとき服装に関して厳しく制限を受けるところだ。下着はつけてはいけない、いつでも挿入できるようにスカートしか履いてはいけない、いつでもすぐ裸になれるよう、前開きの服しか着てはいけない。そういう服装をするようになったO嬢は、職場でも「雰囲気が変わった」と言われるようになるのである。自分も、そうなりたい。その時は素直にそう思った。

 でも、私は結局自分を捨ててご主人様に全てを捧げるということができなかった。身につけるものを指定され、言われるままに奉仕していると「別にこの人は、私じゃなくてもいいんじゃないか?」と思えて仕方なかった。自分よりもこういう服装が似合って、自分よりも奉仕が上手で、きれいで、魅力的な女がいたら、自分になんかなんの価値もないのではないかと思えた。それが苦しくて、街中でご主人様の理想のようなきれいな女性を見ると涙が出た。主従関係でなく、自分を自分として受け止め、自分自身を愛してくれる人が欲しくて仕方がなかった。だからSMをしているときは、気持ちよかったけどつらくて悲しかった。結局、私は奴隷失格だったのだ。

 幸せな恋愛をしたい、愛されて満たされた気持ちになりたい、そう思うのに、そんなことよりめちゃくちゃに理性を壊されて身体をぐちゃぐちゃにされたい欲望がこみあげてきて、私はいつも、どうしたらいいのかわからなくなる。そうすればまた以前のように傷つくことはわかっているのに、混乱することはわかっているのに、その欲望は消えることはない。

 私は今、32歳だ。サタミシュウの作品の中に出てくる言葉で言えば「並程度のルックスの、30代のただのおばちゃんだ。喋り方も失礼な上に、同席しているだけでおまえのどうでもいいプライドが匂ってくる」そんな女だ。奴隷としての素質もないそんな女に「ご主人様」が振り向くかといえば、そんなはずがない。

 でも、いいかげん自分の欲望にきちんと向き合わなければいけないのかもしれない。素直な気持ちでサタミシュウの小説を読んでいると、奴隷としてふさわしい礼儀を身につけた、果てしなく快感に堕ちていける女になりたくなる。なれないから、無理だから、そんなことをしていると心が壊れるから、自分はかわいくないからとずっと封じ込めてきた欲望が頭をもたげてくる。

 今からでも、なれるのだろうか。奴隷として恥ずかしくない、魅力的な女に。そして今まで受け入れることのできなかった「主従関係」を受け入れ、奴隷であることを本当に幸せだと思えるようになるのだろうか。

 まずはそういう判断を他人まかせにせず、自分で自分を躾けていくことから始めなければいけないのだろう。そして自立した、それでいていつでもプライドを捨てられる女になれるように常識を捨て去っていくしかないのだろう。

 サタミシュウの描く理想のM女像は、男にとって都合の良い女性像とも言えるが、そういう「男にとって理想の女」になりたい願望が私にはある。多くの女性にも、そういう願望があるのではないだろうか。そういう願望を持っている女性が読めば胸がさわぐし、今までの生活を捨てて「変わりたい」と強く思うだろう。

 サタミシュウの描くような「いい女」に憧れ妬みながら、本当の主従関係の快楽を知ることもなく死んでゆくのか、それとも今からでも、その欲望に向き合うのか。そういうことを突きつけられるような気がして、私はいつも、サタミシュウの小説を読むのが、こわい。そんな欲望に気づいて心を乱されることも、本当に変われるかわからないのに変わろうとすることも、怖い。でも、それに気づいてしまったら、サタミシュウの作品を陳腐だとかぬるいとかは、とてもじゃないけど言えなくなる。たとえ陳腐でぬるくても、そこに描かれている欲望は本物だと、私は思う。

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